メセナアワード

メセナアワード2009贈呈式


2009年11月27日(金)、「メセナアワード2009」贈呈式をスパイラルホール(東京・港区)にて開催しました。
贈呈式では各受賞活動の紹介につづき、玉井日出夫文化庁長官より「文化庁長官賞」部門、企業メセナ協議会 福原会長より「メセナ大賞」部門の賞の贈呈をおこないました。
受賞企業・団体の代表者はそれぞれ受賞の喜びをスピーチされ、審査委員からはそれぞれ審査評が述べられました。当日は、受賞活動のご関係者、「メセナアワード2009」応募各社・財団のみなさまをはじめ、企業メセナ協議会会員、関係者、報道等、総勢300名を超える方々にご出席いただきました。 また贈呈式終了後は、同会場にて記念レセプションを実施しました。

メセナアワード2009贈呈式 受賞スピーチ

第一生命保険相互会社 相談役 櫻井孝頴 様

メセナ大賞:第一生命ホールを拠点としたNPOトリトン・アーツ・ネットワークの音楽活動への支援

メセナ大賞 第一生命保険相互会社受賞写真
櫻井孝頴2000年に「VOCA展」で受賞して以来、9年ぶりに大賞を頂戴し、誠に光栄です。今回、評価された第一生命ホールは、戦前、東京・日比谷の本社ビルに開設された職員の集会場として、入社式や社員相談会など、社内のさまざまな催しに使用されました。1945年、敗戦の翌月に、本社ビルは米軍に接収され連合軍総司令部となり、ホールは軍人やその家族の礼拝堂、娯楽の場として活用され、平和条約が公布された1952年に返還されました。
話はそれますが、突然、連合軍がやって来て、「このビルはアメリカ軍が使う。5日以内に出るように」と言われ、会社としては一体どこへ行こうかと途方にくれました。その際、私どもの京橋の貸しビルにおられたアサヒビールの社長・山本為三郎氏が、「私たちが吾妻橋の工場へ行きますから、その後を第一生命がお使いください」と言って、現在のアサヒビール本社がある浅草へ移動くださった。
以来、私どもの会社は、アサヒビールを贔屓にしています。私が申しあげたいのは、当時の経営者というのは、そういう心意気がありました。「困った時はお互いさま」と自分たちがより不便なところへ出ていく、という颯爽たる男気があったということを紹介しておきたい。 先程、トナカイの早川会長が、「21世紀は心の豊かさの時代」とスピーチされました、誠にその通りです。戦前・戦後の間もなくある時期までは、日本の経営者、あるいは企業風土というものに、立派な心意気のようなものがあったということを、この席を借りて申しあげておきたいと思います。
1952年7月、本社ビルが会社に返還された頃、都心にはまだ劇場やホールがほとんどありません。焼け跡の復興がやっと始まったばかり。社外からの強い要請を受け、当社の経営陣は、第一生命ホールを貸館として運営することを決断、株式会社第一生命ホールを設立します。ホールは音楽会や映画上映に貸し出され、文学座や創立まもない劇団四季の公演にもしばしば使用されました。もともと職員向けの集会場なので、楽屋がありません。ロビーの片隅をベニヤ板で囲み、そこに薄縁を敷いて、女優の杉村春子さんや岸田今日子さんがお化粧をしておられたようです。
ホール運営には、会社の職員が何人か出向していました。 私が平社員の頃、観客として入場した時に、出向の顔見知りの職員に頼まれ、入場券のもぎりを何度か手伝った記憶があります。振り返ってみますと、NPOという形態で職員や市民の皆さまの参加を促す、音楽、演劇活動の原点がこの頃にあったのかな、という感じがします。
2001年、第一生命ホールが再建された中央区・晴海地区は、商業用の高層ビルだけでなく、集合住宅、学校、商店街などが隣り合って存在する、いわゆる職住近接地域です。そこにホールが加われば、芸術と住居が隣接する、芸住隣接地域とでも言うべきところになります。人々はいったん帰宅してから音楽会に出かけられる。第一線を退かれた芸術愛好家も住まわれている。再開されたホールをどのように運営するか、社内のワーキンググループの結論は、NPO法人を設立し、職員や地域の皆さまに参加をお願いしてみよう、というふうに自ずと落ち着きました。
私たちは普段、「企業メセナ」という言葉を何気なく使いますが、企業に人格はありません。正確には企業に所属する企業人による芸術文化支援活動です。今回、企業メセナ協議会が企業人から一般市民まで、評価対象範囲を広げてくださったことは、大変意義あることと考えます。私たちはあらためて勇気を頂戴しました。

株式会社シベール 代表取締役社長 熊谷眞一 様

「文舞」両道賞:シベールアリーナ&遅筆堂文庫山形館の運営

優秀賞「文舞」両道賞 株式会社シベール受賞写真
熊谷眞一シベールは、山形にある中クラスの企業です。私どもの活動を目に留めてくださり、そればかりか「文舞」両道という、これまでの日本語になかった言葉を作っていただき、表彰されたことは、まことに光栄です。
この賞に私どもを導いてくださった方は、山形が生んだ世界的な劇作家、井上ひさし先生です。40年前、35歳の先生は、「ひょっとしたら、私は日本のシェイクスピアか、モリエールになれるかもしれない」と宣言されたその年、日本の演劇界に『日本人のへそ』(1969年)という作品をひっさげて劇的なデビューを果たされました。今年、75歳になられ、吉川英治の『宮本武蔵』が巌流島で実はとどめをささなかった、ここに着目し、そこから先生の新しい『ムサシ』が始まりました。それはとてもすばらしいものです。それに続き、小林多喜二の評伝劇『組曲虐殺』という作品を世に出しました。題名とはまさに正反対。むしろ「組曲希望」と言い換えてもいいくらい。悲惨な出来事を笑いの真綿で包み、私たちに決して絶望してはならないというメッセージを送ってくださったわけです。75歳で書かれた作品が最高傑作であるという作家は世界中ほかにおられません。この快挙は、先生以外に誰も更新できないと思います。
私は25歳で4坪足らずのシベールを創業し、まわりから「何年もつか」と言われました。そのようななか、「山形であることは文化の個性の違いであり、決して水準の差であってはならない」と手帳に書き留め、約40年が経って遅筆堂文庫とシベールアリーナが誕生しました。
今年9月から公益財団法人による運営が開始していますが、今後、井上ひさし未来館として集大成する計画が、受賞決定の知らせがあった少し前から進んでいます。今、考えているのは、遅筆堂文庫をおよそ二倍に増床し、その奥に先生のお考えによる「井上ひさしの仕事場」という名前の二層からなる展示スペースを新築します。図書館と劇場と新たなコーナーが一体となり、井上先生がまるで名人の鵜匠のごとく、手綱をゆるめ、手綱をひきしめ、手綱をあやつり、三位一体で運営されるという映像を、私と先生は互いの心のなかの映写機をカタコト回しながら未来に向かって写そうとしています。再来年の「こどもの日」を期して、これらを現実のものとしてまいりたいと願っています。

多摩川アートラインプロジェクト実行委員会 代表幹事 田中常雅 様

地域ネットワーク賞:「多摩川アートライン」の取り組み

優秀賞:地域ネットワーク賞多摩川アートラインプロジェクト実行委員会受賞写真
田中常雅本日はこのような素晴らしい席で、素敵な賞を頂戴しまして、誠にありがとうございます。また、私どもが活動を続けてこられたのは、多くの企業、市民、アーティストや物をつくる工場、商店街、神社、学校など地域の皆さまが協力してくださったおかげ、と心より感謝します。
私どもがこの活動を始めたのは、1992年に大田まちづくり芸術支援協会(asca)を設立したのがきっかけです。我々のような小規模企業は、自らの力だけでは大きなことはできない。それでは、連携を組んでやろう。その際に、広く地域も連携のターゲットになるのではないか、そうすると、地域のまちづくりと結びつき、さらに大きなことがやれるのではないかと考えました。
今回、まちづくりに関係しているということ、それからネットワークを評価いただいたことを、心から嬉しく思っています。設立した当初は、まちづくりと文化芸術をどう繋げていこうかといろいろ迷いました。やはり、応援団がいなかったのですね。ですから、企業と市民もどう繋いでいったらいいのか、暗中模索のところがありました。しかし、地域のポテンシャル、まちの面白さ、アートの面白さというのはそれを超えたものがあると思います。20年やってきて、そのなかでまた新たなネットワークができ、若い人の新しいエネルギーが重なって大きく発展してきたことが今回の成果だと感じています。
さらにこれからは、まちをもっと面白くしよう、経済と文化をどう繋げていくか、ということがますます大事になってくると思います。行政も議会も、そういうことは考えてくれないかもしれない。皆さま一人ひとりが声をあげて、私たちがそういう実績をつくっていくことがとても大事なことだと思っています。今回の賞を励みに、これからも一層活動に精を出したいと考えています。

天神橋筋商店連合会 会長 土居年樹 様

千客万来賞:商店街文化と芸能文化で街再生

優秀賞 千客万来賞 天神橋筋商店連合会
土居年樹皆さま、本当にありがとうございました。「千客万来賞」という、商店街にとてもふさわしい名前を頂戴しました。大変感謝しています。「天満天神繁昌亭」という上方落語の定席小屋が70年ぶりに大阪に復活し、とても注目されています。日本中の商店街の実に90数%が、衰退と言われ、ほとんどの商店街が、駄目になっています。そのなかで、35年間商店街の仕事一筋にやってきました。まちの生き残りをかけ、まちを活性化することが、日本の安全・安心につながると強く信念に持ち続けています。
今、一番感じていることは、携帯電話とかパソコンだとか、文明がどんどん進化するにつれ、その反面、文化が急速に衰退しているのですね。そのことは、日本の社会にとって、非常にもったいない。犯罪者が増え、自殺者も減りませんが、まちの文化と街商人(まちあきんど)の活躍がなかったら、もっとひどくなるだろうという思いでやってまいりました。おかげさまで35年目にして上方落語の定席の小屋をつくることができました。
開設一年目の経済効果が116億円。3年目を迎え、たった250人しか入らない小屋でございますが、50万人目の来場者を迎えることができました。入場者数が落ちこまない―落ちない落語ってあんまり聞いたことがありませんが―、ぜんぜん落ちない。大変感激をしています。 NHKの朝の連続ドラマ「ちりとてちん」があったり、マスコミやメディアの放映もありましたから、そのことも寄与したのではないかと思います。
この商店街と繁昌亭、この小屋を、この灯を絶やさないように、次の世代に送り続けることをお誓い申しあげまして、御礼の言葉にさせていただきます。

株式会社トナカイ 代表取締役会長 早川正一 様

歌劇な社長賞:オペラサロントナカイの運営を通じた、サロンオペラの普及と若手歌手支援

優秀賞 歌劇な社長賞 株式会社トナカイ受賞写真
早川正一このたびの受賞、どうもありがとうございます。大変に感謝しています。私どもは、ビル経営の不動産業でして、ちょうど19年前の不動産バブルの頃、少しでも社会に貢献をしたいと始めたのが、このオペラサロンです。
たまたま本社ビルの1、2階が空いたのと、ニューヨーク57丁目のスタンウェイピアノの本社ビル購入をきっかけに、スタンウェイのオーナーからグランドピアノを贈られ、その活用方法を考えていたところでした。若手のオペラ歌手の舞台チャンスがなかなかないということを聞き、そこで、このサロンを音楽ホールに改装しました。ニューヨークのロックフェラーセンターの最上階に「レインボークラブ」というのがあります。このクラブのランチ・タイムは、ニューヨークの特権階級の情報交換の場として、夜は、ワインを傾けながらオペラを聴くところとして有名で、そこを参考にしました。
そうしたわけで、日本で5本指に入る音響条件のすばらしいホールをつくり、開設当初は大盛況でしたが、バブルがはじけてからは様変わりでございます。しかし、若手プロのアーティストの登竜門として定着し、途中でやめるわけにもいきません。何とか、がんばっています。
オペラと言うと、一部特権階級のものというような傾向があり、観客層も高齢化していますが、オペラサロントナカイでは、7年前から中高生のためのオペラ入門講座を開講し、学生を招待しています。オペラの原点である西洋文化史を交えたレクチャーの後、オペラ公演を行い好評です。この中高生のオペラ入門講座も何とか続けて行きたいと思っているところです。
このたび「ふるさと納税」ができました。実は、ふるさと納税制度を利用して、この講座を継続したいと考えています。「ふるさと」と申しても、どこという規定はありませんで、私の家族や周りの人に呼びかけ、千代田区にふるさと納税の寄付をしてもらい、その見返りとして、千代田区から助成金を頂戴するかたちで今後続けていくことになっています。
まさに20世紀は大量生産でモノの豊かさの時代でした。しかし、21世紀は心の豊かさの時代に移ろうとしています。何卒、皆さまのご支援ご鞭撻をお願いいたします。

明治安田生命保険相互会社 専務執行役 殿岡裕章 様

ベスト・コラボレーション賞:「エイブルアート・オンステージ」の実施

優秀賞 ベスト・コラボレーション賞 明治安田生命保険相互会社受賞写真
このたび、ベスト・コラボレーション賞をいただきまして、本当にありがとうございます。審査にあたられた先生方、運営に携わられた企業メセナ協議会の皆さま、ありがとうございます。心から御礼を申しあげたいと思います。
先程、紹介がありました「エイブルアート・オンステージ」は、障がいを持たれる方と、さまざまな活動をされているアーティスト、そういった方々がコラボレートして、新しい舞台芸術を創造していこうという試みです。「ベストコラボレーション賞」というネーミングも、そうしたところに着目して付けていただいたものと思っています。
この「エイブルアート・オンステージ」は、もう一つ目的があります。それは、障がいをお持ちの方の社会参加と芸術活動が、従来別々のものと捉えられがちのところを有機的に結合していきたい、ということです。これにつきましては、実際に全国各地で活動するなかで、社会福祉分野の方々の参加はもちろんですが、美術館や博物館、それから行政の方々からも、たくさんのご支援をいただきました。そういった意味でますます広がりを持つことができるのではないかと思っています。
5年間、この活動に取り組んできましたが、この間、舞台、音楽、ダンスなど、いろいろな分野において、34グループ、1,140名の方々に参加いただきました。それら活動には、これまでの障がい者の枠を超えて、心の病をお持ちの方とか、ひきこもりの方、小児科病棟の子ども、高齢の女性にも参加いただきました。そういった意味でも、この「エイブルアート・オンステージ」は、いろいろなかたちで広がり、深みが出てきていると考えています。
今後とも、こうした企業メセナが広がり、注目され、ますます発展していくことを期待しております。

京阪電気鉄道株式会社 代表取締役 CEO 佐藤茂雄 様

文化庁長官賞:中之島線なにわ橋駅「アートエリアB1」における社学・地域連携文化活動

特別賞 文化庁長官賞 京阪電気鉄道株式会社受賞写真

佐藤茂雄本日は、文化庁長官賞を頂戴しまして大変に光栄です。また、大変に誇らしい気持ちでいっぱいです。中之島に新線をつくる当時、私は社長でした。今回の受賞対象となった活動の舞台である「なにわ橋駅」は、当初の鉄道・需要予測を見ると、お客さまの利用が大変に少ないというので、私は「そんなものやめてしまえ!」と、あるところで言いまして、大変物議をかもしたわけであります。 その後、鷲田清一さんや平田オリザさんと懇談を重ね、理解を深めまして、今日に至っています。本当に、つぶさなくてよかったな、と思っているのです。
もともと大阪というところは、江戸時代から文化発祥の地、文化の盛んなところでありまして、そういう点からすると、今回の私どもの活動というのは、昔のDNAを呼び覚ましているということであろうかと思います。なにわの精神の気高さですね。これを今後も存分に発揮していくよう、努力してまいりたい。
そして同時に、今回、一番うれしいことは、私どものなにわ橋駅の近くに天神橋筋商店街がありますが、本日この会場に、天神橋筋商店連合会会長の土居さんがお見えです。これから一緒になって、なにわの底力を示していけるというのが大変に嬉しい。土居さんのところは、「千客万来賞」です。どうか中之島線「なにわ橋駅」も千客万来であることを期待しまして、ご挨拶とさせていただきます。

選考評

審査委員 逢坂恵理子 氏

逢坂恵理子受賞されました皆さま、おめでとうございます。私ども審査委員会では、まず企業メセナ協議会の事務局と会員企業の社員からなる大賞部会の皆さんのきちんとした情報収集があり、その上で審査委員が意見を交し合って受賞活動を選ばせていただきました。
今回は、大企業から小さな組織まで、幅広いタイプのメセナ活動に賞を差し上げることができたと思います。やはり21世紀に入り、企業メセナ、文化活動の幅というものが格段に広がってきたという印象があります。
メセナ大賞と文化庁長官賞以外の賞名は、審査委員が命名するということで、審査委員一同が力を発揮したところです。その思考の柔軟性、多様性を多少は披露できたのではないかと思います。実際には、受賞に至らなかった企業の皆様も、素晴らしい活動をされていて、7つの賞に絞るのが大変でした。どうぞ引き続き、日本の文化の底上げに力を貸していただきたい と思います。

【プロフィール】
横浜美術館館長。国際交流基金、ICA名古屋、1994年より水戸芸術館現代美術センター主任学芸員、同センター芸術監督(97~06年)、森美術館アーティスティック・ディレクターを経て、2009年より現職。第3回アジア・パシフィック・トリエンナーレ日本部門コーキューレーター(99年)、第49回ヴェニス・ビエンナーレ日本館コミッショナー(01年)を歴任するなど、多くの現代美術国際展を手がける。

審査委員 木下直之 氏

木下直之メセナアワードというのは非常によくできた審査の仕組みです。入念な調査のうえ、我々審査委員のところに情報が出てくる。こうした賞の審査は、審査委員が集まってパッと決めてしまうところが多いのではないかと思うのですが、随分違いました。ですから、本日受賞された皆様は、大変に価値があるということを一言、申し上げておきたい。
また審査のために、缶詰というか、それなりの時間を費やして議論を深めましたが、決して苦痛ではありませんでした。それは、各賞のネーミングに表れていると思います。シベールの社長さんが「『文舞』両道という日本語にはない賞」と仰いましたが、その活動にふさわしい賞名を考えることも含めて、とても楽しく審査させていただきました。
あえて一言で申しますと、「熱い思いが伝わってくる」そこに私たちの目は向かいました。企業であれ団体であれ、熱い思いが、地域、社会に対してどれだけ届くのかが一番大切ではないかと思います。例えば「歌劇な社長賞」は、とにかくオペラに対する非常に熱い思いが伝わってきた。ですから我々審査委員は、「過激な社長」という意味も込めまして、名前を付けさせていただいたということを報告しておきます。

【プロフィール】
文化資源学、東京大学教授。兵庫県立近代美術館学芸員を経て、1997年より東京大学総合研究博物館助教授、2001~03年、国立民族学博物館助教授を兼任。著書に、『美術という見世物―油絵茶屋の時代』(93年、サントリー学芸賞)、『世の途中から隠されていること―近代日本の記憶』 (02年)、『わたしの城下町』(07年、芸術選奨文部科学大臣賞受賞)、『芸術の生まれる場』(09年)等。

審査委員 小沼純一 氏

小沼純一お二人と同じく、厳しく、しかし、かなり楽しい審査でありました。私たちはある程度芸術について知っているつもりですし、いろいろな活動があることもわかっています。けれども、企業によって日本中で多様なメセナ活動が行われているということを、実は私たちは気づいていません。また、それをどうすれば多くの方々に知っていただけるのだろうと考えました。
今回受賞された方々、あるいは応募された企業・団体は、実はその一部に過ぎないのかもしれません。裾野はもっと広くて、私たちはなかなか知らずにいるわけです。それをどのように皆さまに気づいていただけるか、ということがあります。
また賞の命名は、本当に和気藹々と楽しく、やはり言葉が得意な審査委員が何人もいらしたからだと思いますが、造語のような賞名がつけられました。ちょっと危惧しているのは、この先、どうやってこういう面白いネーミングを継続していくかです。あと2回ほど、私たちのメンバーでおこなうのですが、その先のことを少し心配しております。簡単ですが、あらためておめでとうございます。

【プロフィール】
音楽・文芸批評、音楽文化論、早稲田大学文学学術院教授。第8回出光音楽賞(学術・研究部門)受賞。著書に、『ミニマル・ミュージック』(97年)、『パリのプーランク』(99年)、『武満徹 音・ことば・イメージ』(99年)、『バッハ「ゴルトベルク変奏曲」世界・音楽・メディア』(06年)、『魅せられた身体』(07年)、『無伴奏』(08年)ほか共著、詩集、訳書など多数。

審査委員 白石美雪 氏

白石美雪ご受賞なさった皆様、おめでとうございます。私は、メセナに関する審査をさせていただいたのは初めてで、いろいろと勉強させていただくことばかりでした。全国でこれほど多くのメセナ活動が、草の根的に起こっていることに、まず驚かされました。
メセナといいますと昔ながらに、芸術活動をおこなう芸術家に対する支援、というイメージを持っていました。それが、いまどきの企業メセナは、コミュニティに開かれて、地域にきちんと根ざした活動がとても盛んになってきている。
そもそも芸術とは、人が人と共に何かをおこなうことのコミュニケーション、そこに本来の価値があると私は思っています。そういう意味では、今回選ばせていただいた企業の皆さまの努力というのは非常に心強いものでありました。
受賞者のお話の中で、必ずしも楽ではなかった道のりや歴史、現在の状況においても、信念のある言葉をたくさん頂戴したと思います。これからも大変な状況はあるかと思いますが、皆様の活動が続いていくことを願っております。

【プロフィール】
音楽評論、音楽学、武蔵野美術大学教授。東京芸術大学、国立音楽大学講師、武蔵野美術大学助教授を経て、2001年より現職。96~2005年、NHK-FM『現代の音楽』にレギュラー出演。朝日新聞の演奏会評を執筆。著書に『ジョン・ケージ 混沌ではなくアナーキー』(09年)、共著に『はじめての音楽史』(増補改訂版09年)、『武満徹 音の河のゆくえ』(00年)、『21世紀の音楽入門1・3・4・5』(02~05年)ほか、評論多数。

審査委員 扇田昭彦 氏

扇田昭彦受賞企業の皆様、団体の方々、本当におめでとうございます。初めて審査に関わりましたが、多彩なメセナ活動が数多く、いいものが多い中で、どうやって絞り込むのかと苦労しました。
なかでも私が関心を持ったのが、山形に拠点を置くシベールの劇場です。企業がつくった劇場は東京や大阪が多く、地方の企業が地元に劇場をつくるというのはほとんど例がないと思います。私が感心したのは、山形市の中心部ではなく、郊外の工場の敷地内で、それが体育館と劇場を兼ねていること、しかも、地元出身の作家の井上ひさしさんと組んでいるなど、いろいろな点でユニークだと思います。
最初に話を聞いたとき、体育館と劇場が両立するのか、音響効果がダメなのではないか、と思いました。ところが井上ひさしさんに聞いてみると、いや、すごくいいと。また、こまつ座の公演をされた大竹しのぶさんも、結構いいのよと言うのです。そもそも体育館と劇場を兼ねるという設計が大変だったと思いますが、その苦労を乗り越えられ、しかも井上ひさしさんの遅筆堂文庫も併設されるという、幾つものアイデアに満ちたいい劇場ができた、ということを私も喜びました。

【プロフィール】
演劇評論家。2000年まで朝日新聞学芸部編集委員として多くの演劇評を執筆。現在は幅広い媒体で評論活動をおこなう。2000年から9年間、静岡文化芸術大学教授。主な著書に、『現代演劇の航海』(88年、芸術選奨新人賞)、『日本の現代演劇』(95年)、『ミュージカルの時代』(00年)、『舞台は語る』(02年)、『才能の森―現代演劇の創り手たち』(05年)、『唐十郎の劇世界』(07年、AICT演劇評論賞)がある。

審査委員 中谷 巌 氏

中谷 巌一般的なことから申しますと、やはり資本主義経済が進むと、文化が犠牲になる局面はとても多い。おまけに最近では、国の事業仕分けで文化予算まで切られるという危惧もあって、放っておくと文化がどんどん衰退していくことになりかねません。
こうした中で、企業のメセナ活動というのは非常に貴重なものだと思いました。審査に参加してみて、各地でさまざまな企業が、熱い志を持って活動をされている。それが地域と結びついたり、障がいのある方々とつながったり、いろいろなかたちで花を咲かせていることに非常に心強いものを感じました。
先ほど第一生命の櫻井相談役が、戦後のある時期までは経営者の心意気があったとお話しされました。今はないということかもしれませんが、今回の審査委員会に参加して、それほど捨てたものでもないのではないかと。確かに、大規模な美術館をつくるというようなことはないかもしれませんが、さまざまなかたちで、いろいろな人々が参加できるメセナ活動がここまで多くおこなわれているわけです。ぜひ今後も、日本を文化大国にするために、企業の力を貸していただければ嬉しいと思う次第です。
最後に、この賞では、応募された各企業の方々に実際に取材をしていると聞いて驚きました。本当にご苦労様でございました。

【プロフィール】
三菱UFJリサーチ&コンサルティング(株)理事長、経済学者。マクロ経済政策や産業研究に取り組む。1973年ハーバード大学経済学博士。大阪大学教授、一橋大学教授を経て、2001年多摩大学学長、2008年多摩大学教授・ルネッサンスセンター長。ソニー(株)取締役(99~05年)はじめ複数の企業役員を務めるほか、細川内閣、小渕内閣にて首相諮問機関委員も歴任。近著に『資本主義はなぜ自壊したのか―「日本」再生への提言』(08年)。

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