メセナアワード

メセナアワード2010贈呈式


2010年12月3日(金)、「メセナアワード2010」贈呈式を東商ホール(東京・千代田区)にて開催しました(今年は「メセナフォーラム2010」の一環として実施しました)。当日は、受賞活動のご関係者、「メセナアワード2010」応募各社・財団のみなさまをはじめ、企業メセナ協議会会員、関係者、報道等、総勢300名を超える方々にご出席いただきました。

贈呈式では各受賞活動の紹介につづき、近藤誠一文化庁長官より「文化庁長官賞」部門、企業メセナ協議会 福原会長より「メセナ大賞」部門の賞の贈呈をおこないました。 受賞企業・団体の代表者はそれぞれ受賞の喜びをスピーチされ、審査委員からはそれぞれ審査評が述べられました。贈呈式終了後は、同会場にて企業メセナ協議会設立20周年記念シンポジウムおよびレセプションを実施しました。

メセナアワード2010贈呈式 受賞者スピーチ

中村ブレイス株式会社 代表取締役 中村俊郎 様

メセナ大賞:「世界遺産 石見銀山」における企業経営と地域貢献


ただいま福原会長からいただいたトロフィー、ずっしりと感じました。福地理事長様、審査委員の皆様方、そして不思議なご縁をいただきました文化庁の近藤長官、本当にありがとうございます。
先ほど、明治生まれの父の写真と、50年前の大森町が紹介されました。あれが石見銀山の姿でありました。父は10歳の私に「俊郎や、この町にはすごい文化がある。世界に誇れる石見銀山だ」と語ってくれました。ゴーストタウンになっていくこの町で、いったい何ができるのかと思いましたが、皆さんにお世話になって京都、アメリカで義肢装具の修行をさせていただき、帰ってきたのが26歳と10ヵ月のときの大森町でした。
何もない。雪が降って、竹藪があるだけの町でした。この町で、手足を失くした人、腰を痛めたり、乳がんでおっぱいを失くされたりした人たちのために、ものづくりをして皆さんにお返しをしていかなければいけないと思いました。納屋を改装した工房で「若者を育てていけば、将来この町は復活するのではないか。大森の町は大航海時代、銀を求めて世界から来られた人たちもあった。そういう歴史のある町だ」と、ひたすら義肢装具づくりで毎日過ごしてまいりました。
3年前、ここにいらっしゃる近藤長官が当時のユネスコ大使で、外務省の皆さん、島根県、地元メディアの皆さん、あらゆる分野の方々が応援してくださり、石見銀山を世界遺産にしていただきました。こんなに嬉しいことはなくて、そのとき私はもう死んでもいいというようなことも言っていました。しかし今日またこうして、すばらしい賞をいただきました。
ここに持ってまいりましたのは、次の夢であります。竹の義足です。我々はいままで、障害のある方を助けようとしてまいりました。しかし、プラスチックや軽金属、シリコンなどでいいものをつくると値段も高くなる。今年、フィリピンのパナイ島に行ってまいりました。スラム街の貧困家庭で、10歳の彼は生まれながらにして両足が欠損、左手がなく、舌が欠損で、元気なのは右手だけ。数年前に日本のNGOが募金をして、義足をつくってもらった。しかし子どもは大きくなりますから義足が合わなくなって、また、お兄ちゃん、お姉ちゃんにおぶさって小学校に通わなければならなくなったわけです。
私は思いました。世界にはいろいろな文化がある。我々の石見銀山にも文化があったように、フィリピンにはフィリピン、ネパールにはネパールの文化、そして、竹の文化があって、木彫の文化があるではないかと。そういう現地の文化、技術、職人さんたちの力と我々のノウハウを一緒にすれば、その子が元気に歩き、大地に一歩を踏み出していけるのではないか。
この竹の義足で10歳のアンヘリト君は元気に立って歩きました。嬉しかったです。義足で立ってくれたからではなくて、現地の人がそれぞれの文化で、自分たちに、自分たちの文化に誇りを持って立ち上がる。その姿が嬉しかったわけです。
このたび身に余るメセナ大賞をいただきまして、こんなに嬉しいことはないです。しかし、それに甘えていてはいけないと思っています。これからまた一歩一歩、微力ではありますが、石見銀山の町から少しずつ社会の皆さんにお返ししていきたいと思っております。このたびは誠にありがとうございました。厚くお礼を申し上げます。

京都ブライトンホテル株式会社 取締役社長 板東治機 様

音(お)もてなし賞:「リレー音楽祭 in アトリウム」の実施


本日は大変ありがとうございます。スタッフ一同大喜びしております。まず、私どもホテルにとりまして「音(お)もてなし賞」という素晴らしいネーミングをしていただきました審査員の先生方に、御礼を申し上げたいと思います。
この音楽祭は、運営母体の実行委員会委員長である指揮者の井上道義先生に企画段階からご指導を賜り、京都を中心に活動しておられます各音楽団体の皆様に支えられて継続してまいりました。96年から15年間で延べ593回の公演をすることができました。ご出演いただいた演奏家の皆様はプロ・アマ含めて延べ3,500名、楽しんでいただいたお客様は延べ17万5,000人。こうして活動を続けることができましたのは、皆様の温かいご支援とご協力をいただいたからであると確信しています。
京都ブライトンホテルは1988年の開業以来、「文化の薫りがするホテル」を目指して、芸術文化の情報発信をしてまいりました。毎年7月になると京都は祇園祭の季節ですが、私どもの「リレー音楽祭」も夏の風物詩として定着してきております。本番もリハーサルもアトリウムロビーの中で、通常営業に制約を設けることなく、お客様にご理解をいただきコンサートが行われています。今後とも、本日いただきました「音もてなし賞」の名に恥じない活動を継続してまいりたいと思っております。
最後になりましたが、京都はただいま紅葉の真っ最中でございます。入洛する機会がございましたら、ぜひ京都ブライトンホテルにお立ち寄りいただくことをお願いいたしまして、受賞の挨拶に代えさせていただきます。最後にもう一言。「ホ、ホ、ホテル来い」。ありがとうございました。

株式会社資生堂 代表取締役社長 前田新造 様

ことばの花賞:「現代詩花椿賞」による詩の支援と振興


このたびは現代詩花椿賞に対しまして、とても素敵で華麗なネーミングの賞をいただきまして厚く御礼申し上げます。誠に光栄でございます。
現代詩花椿賞は1983年に設立されまして、選考委員の先生方、そして何よりも、詩をこよなく愛する方々に支えられて、本年で28回目を迎えることになりました。前年度に発行された詩集の中から1冊を選ぶという、大変過酷な選考をくぐり抜けますが、選考にあたる先生方は4名で構成されています。絶対に多数決で決めないということを表すためにも、偶数の先生方で最後の最後まで徹底して議論いただき、コンセンサスを得たうえで1作を選び出すという過程を経ております。と同時に、毎年、女性の詩人の先生も加わっていただくということが、現代詩花椿賞の個性をかたちづくっているものと思っております。
この賞の設立にご尽力いただいた詩人の宗左近さんが、資生堂が詩を応援する意味について次のように述べられております。「お化粧も詩である、ファッションも詩であるという立場に僕は立ちたいのです。資生堂の仕事というのは、日常にあって日常を超えること。現実を童話の世界に変えること。一種の魔法。だから、詩と同じなのです」と。
資生堂は、「新しく深みのある価値を発見し、美しい生活文化を創造する」という企業理念を、創業以来大切にしています。現代詩花椿賞は、まさにその企業理念を体現する重要な一活動でもあります。微力ではありますが、芸術文化の支援を通じて心豊かで創造性のある社会づくりに対し、これからも尽力を続けてまいりたいと考えております。
選考委員の先生方、企業メセナ協議会の皆様方、そして、現代詩花椿賞を支えてくださっている皆様方に厚く御礼を申し上げまして、受賞の挨拶に代えさせていただきます。

凸版印刷株式会社 代表取締役社長 金子眞吾 様

印刷文化振興賞:印刷博物館の運営


印刷文化振興賞という大変名誉ある賞を、印刷博物館の運営に対して受賞できましたことに大きな喜びを感じております。審査員の方々をはじめ、関係各位の皆様に心より感謝申し上げます。
凸版印刷は明治33年、1900年に、当時の大蔵省印刷局の技術者が、いわゆるベンチャーとして設立した会社でございます。今日まで110年にわたり、印刷テクノロジーを核として、さまざまな分野で事業を展開してまいりました。
印刷博物館は創立100周年にあたり、産業文化や芸術分野における社会貢献を目指して設立しました。開館してちょうど10年になりますが、2000年代においてはインターネットが大変普及してまいりました。情報技術の発展とともに新しいビジネスやメディアが拡大し、社会に急激な変化が起こりました。印刷産業にもその潮流が押し寄せ、活字が消え、版下や製版フィルムもデジタルに置き換わるなど、過去のアナログ技術や表現の方法が変わってまいりました。
そうした状況の中で、印刷とコミュニケーションの過去、現在、未来の姿をテーマに、研究を公開していく公共的な施設の必要性を強く感じたわけです。以来10年が経ち、ますますデジタル化の流れは加速しております。私ども印刷業界ならびに関連業界は、まさにその変革の核心にあるといっても過言ではございませんが、こうした時代にあってこそ印刷文化の伝統を検証し、さらにはテジタル化を含む未来の広範な文字や画像の世界に新たな展開を図る必要があると、強く認識している次第です。
今回の印刷文化振興賞の受賞は、凸版グループ全体にとっての誇りであり、大きな励みでございます。この栄誉を契機としまして、私どもは印刷文化の研究調査をさらに深め、広くご関係の皆様と協働のもと、印刷文化発展のために全力を尽くす所存でございます。

株式会社ニコン 代表取締役会長 苅谷道郎 様

写真家ニコリ賞:―写真文化とともに歩む― ニコンサロンの運営と活動


このたびは大変素敵な、「写真家ニコリ賞」という名前の賞をいただきまして、誠にありがとうございます。大変感激しております。審査にあたりご尽力いただきました先生方、企業メセナ協議会の皆様に厚く御礼申し上げます。
ニコンサロンは、写真文化の普及向上を目的とした展示スペースです。1968年に私どもの創立50周年記念として開設以来、銀座、新宿、大阪と3ヵ所で4,000回を超える展示をやっております。
出展にあたっては作品そのもののレベルが問題でありまして、それ以外の要素はまったくありません。私の記憶では、カメラを使わないフォトグラムの展示もあったかと思います。また、35歳以下の若い方にも発表の場を提供したいということで、「Juna21」というものもありますし、選考委員の先生方と交流し、切磋琢磨していただく場としても使われております。
写真は、その人の感性だけで決まるもの、瞬間、瞬間を切り取るものだと思います。技術や機材はどんどん変わっていきますが、感性そのものは変わらない。これからデジタルカメラが主流になり、さらにインターネット技術が進歩しますと、写真の楽しみ方が大きく変わっていき、ますます感性が大切になっていくでしょう。ニコンサロンは、写真を愛好する方々にとって、これからも感性を磨き、発信し、交流する場でありたいと考えております。
ニコンは「信頼と創造」という企業理念をもとに、皆様が感動を写し止める、それを分かち合うお手伝いができればと考えております。本日は、写真家ニコリ賞、誠にありがとうございました。

財団法人山種美術財団 理事長/山種美術館館長 山﨑妙子 様

日本画応援賞:「山種美術館の運営」


山種美術館は、山種証券の創始者である山﨑種二が個人で収集したコレクションをもとに、1966年に開館しました。種二は「絵は人柄である」という信念のもと、戦前・戦後を通じて画家の方をパトロンというかたちで支援してまいりました。そして、「世の中のためになることをやったらどうか」という横山大観の言葉をきっかけに美術館を設立いたしました。さらに、若手日本画家を応援しようと「山種美術館賞」を実施し、新たな才能を紹介してまいりました。
こうして集めた約1,800点のコレクションを、さまざまな切り口で展示しております。2009年10月には、広尾に新築した美術館に移転し、新たなスタートを迎えました。設計にあたっては学芸員と建築家が意見交換を行い、日本画の鑑賞に最適な空間や照明、展示ケースを工夫いたしました。バリアフリーにも配慮し、高齢者や障害者の施設からの団体鑑賞を受け入れるとともに、教育普及活動にも積極的に取り組み、小学校から社会人までの教育機関と連携して特別鑑賞会や講演会なども行っております。
このたびのメセナアワードを心の支えとして、日本文化の素晴らしさを次の世代に伝えていこうと思っています。私が東京藝大大学院で美術史を学んでおりました折に、平山郁夫先生から、「絵描きの心がわかる美術館長になりなさい」といわれ、日本画の制作や模写を勉強させていただきました。その結果、日本画制作は非常に孤独で地道な仕事だということが身にしみてわかりました。このような仕事を一生懸命行っている画家の方たちを応援していくことができればと考えております。
創立者の「美術を通じての社会貢献」という理念を常に心に抱き、わずか職員8名の財団でございますが、より一丸となって日々努力してまいりたいと存じます。どうか皆様のますますのご指導とご支援をお願い申し上げます。

TOA株式会社 代表取締役社長 井谷憲次 様

文化庁長官賞:音楽による次世代育成の多角的活動―TOA Meet! Music! Concept―


企業メセナ協議会20周年の節目にこのように素晴らしい賞を頂戴しましたこと、誠に光栄に存じます。1995年「メセナ大賞」に続き、二度目の賞として文化庁長官賞を頂戴しましたこと、身に余る光栄と、関係各位に深く感謝申し上げます。 TOAグループは、音響機器のメーカーとして1934年に神戸に生まれました。創業以来76年にわたり、神戸を基盤に事業活動を続けてまいりました。
1995年1月17日、神戸は未曾有の災害に見舞われました。阪神・淡路大震災。私ども神戸に暮らす者にとって、一生涯忘れることができぬ出来事でございました。ちょうどその年の暮れ、神戸が復興の第一歩を歩み始めた頃に、「メセナ大賞」を頂戴しました。これは皆様方からの「震災に負けるな」「神戸の芸術文化の明かりを絶やすな」という力強いメッセージ、そしてエールであったと思っております。
あれから15年、皆様方に支えられ、私どもも何とか復興の歩みを進めることができました。そういった思いから、支えていただいた神戸に何とか恩返しができないかと考えており、近年は地域活動、とりわけ子どもを中心とした活動に取り組んでおりました。大きなことはできませんが、小さくてもTOAらしい取り組みを、地域に根を張り、地道に続けていこう。それが「人間社会の音によるコミュニケーションに貢献する」という私どもの企業理念の実現につながるのだと信じ続けてまいりました。
今回、文化庁長官賞の栄誉を頂戴できましたのは、こうした活動をご評価いただいたもので、私どもにとって何より嬉しい知らせでありました。育てていただいた神戸に子どもたちの笑顔が溢れ、子どもたちの笑顔がまた地域社会を元気にしているように、地域の皆様に愛していただける企業であり続けるように。そして、私どもの従業員が、私どもの会社を誇りに思えるように、今後ともTOAグループは地域とともに歩み続けたいと思っております。

選考評

審査委員 逢坂恵理子 氏

大賞の中村ブレイス様は、本当にすばらしい活動を小さな町から世界に発信されていて、まさにシンクグローバル、アクトローカルを実践しておられることに大変感銘いたしました。審査に関しては、必ずしも審査委員全員の意見が一致するわけではありませんが、大賞に関しては満場一致で決まりました。
小さな町で地道な活動をしておられることが、このように多くの方々に感銘を与えるということは、文化の力、文化を考える視点というものがいかに大切かということを私たちに教えてくれますし、あらためて勇気づけられる活動をなさっていると思います。「ガラパゴス化」などという言葉は返上したいと思います。
また、現代詩、日本画、写真、印刷文化というような、さまざまな分野で文化を深める活動をなさっている方々や、「企業メセナ」という言葉が浸透する前から、長い間活動をなさっている皆様が今回受賞されました。
受賞を逃した皆様も、決して活動が評価されなかったというわけではありません。100以上の企業にご応募いただいた中から7社を選ぶのは本当に大変で、私自身も最終審査で迷いに迷って選びました。どうぞ引き続き、文化の支援、文化の多様性を伝えていくためにご尽力いただければと思っております。

【プロフィール】
横浜美術館館長。国際交流基金、ICA名古屋、1994年より水戸芸術館現代美術センター主任学芸員、同センター芸術監督(97~06年)、森美術館アーティスティック・ディレクターを経て、2009年より現職。第3回アジア・パシフィック・トリエンナーレ日本部門コーキューレーター(99年)、第49回ヴェニス・ビエンナーレ日本館コミッショナー(01年)を歴任するなど、多くの現代美術国際展を手がける。

審査委員 木下直之 氏

私は普段、大学で学生の指導にあたっています。何をやっているかというと、学生が語る言葉が、より多くの人に伝わるかどうかというところに手伝いをして、修正するようなことをやっています。そのとき学生には、なぜその論文を書くのかということを、かなりしつこく求めます。学生の場合は論文を書くことが当面の仕事ですが、それをなぜやるのかということが決定的に重要だと思います。
昨年から審査委員に加わらせていただいて、私自身は、その企業がなぜその活動をおこなうのか、それを問い詰めてみたいという思いで審査にあたってきました。基本的には書類審査なので、企業の皆様が語る言葉を通して、そこに思いを見出していくわけです。ただ、メセナ大賞の審査は、事前に事務局による大変な調査がおこなわれていて、その先に私たちが2日間かけて選ばせていただくという、これほど丁寧な審査がおこなわれる賞は他にないのではないかと思います。
多くの企業がいまメセナ活動に取り組んでおられますが、規模も、キャリアも、方法も違います。そういうものをどんどん取り除いていったときに、やはり動機といいますか、「何のためにやるのか」が残るのだろうと思います。そのあたりのことが、私にとっては審査をするうえで一番重要だと思いながら進めてまいりました。今日は本当におめでとうございました。

【プロフィール】
文化資源学、東京大学教授。兵庫県立近代美術館学芸員を経て、1997年より東京大学総合研究博物館助教授、2001~03年、国立民族学博物館助教授を兼任。著書に、『美術という見世物―油絵茶屋の時代』(93年、サントリー学芸賞)、『世の途中から隠されていること―近代日本の記憶』 (02年)、『わたしの城下町』(07年、芸術選奨文部科学大臣賞受賞)、『芸術の生まれる場』(09年)等。

審査委員 小沼純一 氏

去年、今年と審査に参加させていただいて、いままで知らなかった企業がこういうことをやっているのだと知り、本当に自分は井の中の蛙だなと実感した次第です。さまざまなことが企業の中でも行われていて、企業そのものが何かをつくり出すということだけではなく、文化活動というものがまた別にある。そうしたことが非常に多様であるから、むしろ文化も多様になっているんですね。文化というのは、名前をつけて「これが文化だよ」と言われるものではないのだということを、あらためて感じています。
今年受賞された皆様の中には、小さい頃から結構親しんでいる美術館や、受賞したいと思いながら取れなかった賞とかもあって(笑)、いろいろと感慨があります。中村ブレイスさんのように、話は聞いていたけれども、実際にこういうことをやられていると知ることもできました。こういう多様性があるのだということを、私も学生たちに教えたいと、そういうところに積極的に入ってみたい、携わってみたいと若い人たちが思ってくれるといい。そんなふうに考えています。あらためまして、おめでとうございます。

【プロフィール】
音楽・文芸批評、音楽文化論、早稲田大学文学学術院教授。第8回出光音楽賞(学術・研究部門)受賞。著書に、『ミニマル・ミュージック』(97年)、『パリのプーランク』(99年)、『武満徹 音・ことば・イメージ』(99年)、『バッハ「ゴルトベルク変奏曲」世界・音楽・メディア』(06年)、『魅せられた身体』(07年)、『無伴奏』(08年)ほか共著、詩集、訳書など多数。

審査委員 白石美雪 氏

2年目となりましたが、メセナアワードの審査はとても楽しい時間です。今年は特に、その企業のキャラクターとかエネルギーが自然とメセナ活動に染み出してくるという感覚をすごく持ちました。どのようなポイントに活動を集約していくか、その眼差しのあり方や、手造りの運営だったり、持続可能なシステムにしていくまでの手法など、その企業が持っている性質が自ずと映し出されるものなのだということを強く感じた次第です。
メセナ活動というのは、企業に穿たれた窓のようなものだと思います。小さいようでいて大きい。社会に開かれていて、企業それぞれのことをよく知らなくても、それを通して企業というものが感じられる場であります。
審査を通しまして、町が、人々が、子どもたちが、メセナ活動で元気になっていく場面を何度も拝見させていただきました。今日の受賞者のお話を伺って、大変な時期であっても、企業が信念を持ってやっていらっしゃるからこそ、長い時間続けたメセナ活動が実を結ぶのだということを感じました。これからは京都や石見銀山を観光客として訪れ、博物館や写真サロン、美術館にも通いまして、一人の享受者としてメセナを応援していきたいと思っております。おめでとうございました。

【プロフィール】
音楽評論、音楽学、武蔵野美術大学教授。東京芸術大学、国立音楽大学講師、武蔵野美術大学助教授を経て、2001年より現職。96~2005年、NHK-FM『現代の音楽』にレギュラー出演。朝日新聞の演奏会評を執筆。著書に『ジョン・ケージ 混沌ではなくアナーキー』(09年)、共著に『はじめての音楽史』(増補改訂版09年)、『武満徹 音の河のゆくえ』(00年)、『21世紀の音楽入門1・3・4・5』(02~05年)ほか、評論多数。

審査委員 扇田昭彦 氏

今年は残念ながら、私の専門である演劇分野の受賞はなかったのですが、結果として、とてもいい受賞団体を選ぶことができたと思っております。特に私が関心を持った二つの活動についてお話をしたいと思います。
一つは、凸版印刷の印刷博物館です。私自身がペーパー媒体の出身であることもありますが、いままで日本に印刷専門のミュージアムはなかったと思います。凸版印刷にとっては本業の延長かもしれませんが、古今東西のあらゆる印刷文化に視野を広げて、非常に幅広い、奥行きのあるミュージアムをつくりあげておられます。そのことに大変敬意を持っています。
もう一つは、資生堂の現代詩花椿賞です。資生堂と現代詩は直接関係ないと思いますが、現代詩というのはとても芸術性が高く、日本語の可能性を実験的に拡大している分野だと思います。しかし現代詩は、そこからベストセラーが生まれるわけではありませんので、このような分野に企業が支援をするのは大変いいことだと思いました。
こうしたユニークなメセナ活動にこれからも着目していきたいと思っています。今日はおめでとうございました。

【プロフィール】
演劇評論家。2000年まで朝日新聞学芸部編集委員として多くの演劇評を執筆。現在は幅広い媒体で評論活動をおこなう。2000年から9年間、静岡文化芸術大学教授。主な著書に、『現代演劇の航海』(88年、芸術選奨新人賞)、『日本の現代演劇』(95年)、『ミュージカルの時代』(00年)、『舞台は語る』(02年)、『才能の森―現代演劇の創り手たち』(05年)、『唐十郎の劇世界』(07年、AICT演劇評論賞)がある。

審査委員 中谷 巌 氏

私は一冊の本を持ってまいりました。坂本光司さんの『日本で一番大切にしたい会社』というベストセラーです。ここでは5社が選ばれていますが、今日、メセナ大賞を受賞された中村ブレイスがそのうちの1社です。中村ブレイスが昔からどういう思いで会社をつくって経営されてきたかということが事細かに書かれていて、これを読めば、今日の受賞は当然だなという思いを強くした次第です。
結局メセナとはいえ、本業における志であったり高い理念であったり、美意識であったり、そうした磨き込みというものが、実はその企業のメセナ活動の中身をかなり決定しているのではないかと思います。受賞各社の皆様方のスピーチおよび活動紹介を拝見しましても、本業それ自身が社会にさまざまな意味で貢献していて、こうした会社がメセナ活動においてもすばらしいパフォーマンスを示しておられる。決して企業活動とメセナ活動は独立しているものではなく、かなりの程度一体化しているものなのだということを学ばせていただきました。
日本は低迷が言われて久しいわけですが、文化の力で世界に生きていくということを運命づけられている国ではないかと思っております。そうした意味でも企業メセナの意義は、これからますます重要になってくるだろうと確信しています。
最後に私的なことになりますが、山種美術館が一年前に広尾に移ってこられて、実は住まいの近くで、もっとも便益を受けている人間の一人として、本日は本当におめでとうございました。

【プロフィール】
三菱UFJリサーチ&コンサルティング[株]理事長、経済学者。マクロ経済政策や産業研究に取り組む。1973年ハーバード大学経済学博士。大阪大学教授、一橋大学教授を経て、2001年多摩大学学長、2008年多摩大学教授・ルネッサンスセンター長。ソニー[株]取締役(99~05年)はじめ複数の企業役員を務めるほか、細川内閣、小渕内閣にて首相諮問機関委員も歴任。近著に『資本主義はなぜ自壊したのか―「日本」再生への提言』(08年)。

審査委員 鷲田清一 氏

本日メセナアワードを受賞なさいました皆様方、おめでとうございます。メセナ活動では、本業で培われた知恵や技とはまた違う知恵と技を一から使われるということで、さて何をしたらいいのか、どのようにしたらいいのか。あるいは、こんなふうでいいのだろうかという長い悩みのプロセスがあっただろうと思います。
不況も長く続く中で、それぞれの会社でも経費節減にご苦労なさっているところを、それでもこの活動をやり抜かなければ、わが社はわが社でないというくらいの強い志を持ってやり遂げられて、今回のご受賞になったかと思います。
先ほどから活動の一端を見せていただいて、皆様方が用意された場、あるいは支えられた人たちが本当に生き生きとされている。皆さん楽しそうにされていて、どれもすばらしい活動だと思いましたが、きっと支えてこられた方々というのは、正直なところ、笑顔は出ても泣き笑いだったのではないかというように思っております。
また来年以降もいろいろな会社がご応募くださると思いますが、成果のみならず、泣き笑いのご苦労のプロセスも応募書類の一端にお書きいただけましたら大変うれしく思います。来年も、どうぞよろしくお願いいたします。

【プロフィール】
哲学の視点から、身体、他者、規範、所有、モード、国家などを論じるとともに、さまざまな批評活動を行う。主な著書に、『「聴く」ことの力』(桑原武夫学芸賞)、『「待つ」ということ』(角川学芸出版)、『モードの迷宮』(サントリー学芸賞)、『メルロ=ポンティ』(講談社)、『悲鳴をあげる身体』(PHP新書)、『老いの空白』(弘文堂)、などがある。近著に『わかりやすいはわかりにくい?』(ちくま新書)、『たかが服、されど服』(集英社)など。日本倫理学会会長、アートミーツケア学会会長。2004年、紫綬褒章受章。

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