企業メセナ協議会ライブラリースペース

災害のあとに〜アートや文化ができること〜

ミニ・メセナフォーラム「災害とアート~防災の観点から災害復興におけるアートの可能性を探る」
企業メセナ協議会ライブラリースペース
ゲスト:(株)ニッセイ基礎研究所芸術文化プロジェクト室
准主任研究員大澤寅雄氏
NPO法人プラス・アーツ理事長 永田宏和氏

向坊衣代[メセナライター]

★メセナライターレポートはartscape , ネットTAM からもお読み頂けます。

企業メセナ協議会では、2011年3月11日に発生した東日本大震災から13日後に「東日本大震災 芸術・文化による復興支援ファンド(GBFund)」を設立。芸術文化による被災地の復興をめざし活動を行ってきました。今年で設立から5年を迎えるにあたり、検証チームを発足。GBFundの活動を振り返りながら、東日本大震災だけでなく幅広い意味で「災害復興においてアートに何ができるか」を、特にこれからの未来へ向けた取り組みができる「防災」を出発点に考えようとの趣旨で今回のフォーラムが開かれました。

■文化としての防災を楽しく学ぶ~神戸発「カエルキャラバン」から世界のBOSAIヘ

永田宏和さん(NPO法人プラス・アーツ)

 建築やまちづくりの分野から出発したNPO法人プラス・アーツの永田宏和さんは、現在神戸市と東京を拠点に「プラス・アーツ」「プラス・クリエイティブ」というテーマで、神戸市の抱える社会的課題をアートやクリエイションの力で解決していく取り組みを行っています。

      

「かえっこ」ロゴ              「カエルキャラバン」ロゴ

 アートと災害の関わりでは、05年に美術家の藤浩志さんらとともに神戸ではじめた、大人も子どもも楽しく学べる防災訓練プログラム「イザ!カエルキャラバン!(以下、カエルキャラバン)」が知られています。「カエルキャラバン」はもともとは藤さんがいらなくなったおもちゃを交換することで地域のなかで新しい価値を生み出そうとするアート・プロジェクト「かえっこバザール」(00年開始)と防災を組み合わせることで生まれました。「やるべきもの」としてみなされていた防災訓練に「防災を学ぶことでポイントがたまる」遊びの要素を取りいれた新しい防災プログラムを開発。「防災教育は日本の文化」という意識から、防災訓練の新しいかたちとして、さまざまなアーティストや学生たちに参加してもらいながら、常に進化を続け現在では海外にもローカライズされています。大事にしているのは、被災者の声を集め、それをベースにプログラムをつくること。
そのほかにも「防災」をテーマにした企業とのコラボレーションやおもちゃ・ゲーム開発など、防災をテーマに多岐に渡るプロジェクトを手がけています。

 
インドネシアでローカライズされた、「かえっこ」ロゴの鹿版

大澤寅雄さん(ニッセイ基礎研究所芸術文化プロジェクト室)

 大澤さんはGBFundの検証チームのリーダーでもありますが、現在は福岡市糸島市に在住しながら東京のシンクタンクで仕事をしています。しかし、最初に語るのは糸島市の消防団員としての立場から。消防団1年目の視点で、「汗だくになって」行う複雑な消防操法を解説し、同じ防災訓練でありながら「カラフルで笑顔の多い」カエルキャラバンとの違いに言及。また、江戸時代の地震後に描かれ、身を守るための護符やおまじないとしても使われた「鯰絵」についての永田さんのお話から、古くから防災というものが日本人の知恵の一部として根づいていたことを指摘しました。

■「超常識」としてのアート/ともに生きる

お二人の話は、災害や社会的課題に対してアートやクリエイティビティが何ができるのか、という話題に進んでいきます。今回の不在のゲストともいうべき藤浩志さんの「超常識としてのアート」という言葉をひきながら、アートには(非常識ではなく)常識を超えていく力があるのではないかと述べます。今ある既成概念から飛び出して、新しい価値をつくり出していくものがこれからのアートや文化ではないか。津波や洪水といった自然災害への次の備えとして、防波堤を嵩上げすることだけではない視点で、問題解決の方法を発想すること。
それは、人が自然を抑えこむという、近代における「文化」や「文明」のあり方の一歩先の発想、つまり自然や災害とともに寄り添いながら暮らしていくことであり、地域の歴史や自分たちの暮らしに向き合うことでもあります。また、忘れられていたり、目を背けがちな問題に対して、超常識の力を持ったアートが果たす役割の重要性も話されました。

■社会的危機に向き合うアートの力/無力であること

メセナ協議会が2009年3月に提言した「社会創造のためのニューコンパクト」やGBFundの活動にも触れ、「災害や社会的課題の解決方法としてのアートの力をいまこそもう一度信用しなければならない」「文化にできることはやはりたくさんあった」と大澤さんはいいます。
忘れてはならないのは「災害のあとにアートや文化に何ができるだろうか?」という無力さ。それを実感したうえで、謙虚に次の一歩を踏み出すことが力になるのではないか、というのは二人とも共通の意見でした。
質疑応答では、中越地震や阪神・淡路の震災でのボランティアを経験した方から防災や被災の記憶や教訓を残し伝えていく話題が出たことから、防災の伝え方の間違いが被害の拡大につながったネパール地震の例や、思い出すのが辛かったり、時間が経つことで風化する記憶と向き合い、伝えていくことの重要性と難しさについて意見が交わされました。

■災害のあとに~アート(ひと)ができること

フォーラムの中で一番印象的だったのは「大きな災害のあとにできることは直後だけではない。それぞれの人にはそれぞれの役割がある。10年後にできることがあるかもしれない」という永田さんの言葉でした。
お話を聞きながら、このフォーラムの少し前に訪れた越後妻有大地の芸術祭のことを思い出していました。芸術祭を通して出会った人や作品を通して、取るに足らない小さなことや今まで気にしてなかったことに気がつかせてくれるアートの(大小さまざまな)力、そしてそれを支えるたくさんの人たちの情熱を強く感じ、構想から約20年、間に中越地震を経たアートフェスティバルにとって、時間が経つことと続けることは種や土壌を育てることに似ていると強く思いました。そして、ひとや自然から与えられたり損なわれたりしたものが育ち、個人一人ひとりの身体感覚にまで落ちていったものが「文化」であり、ひとが生きていくための「知恵」ではないかと実感したのです。カエルキャラバンの取り組みも同様で、防災や災害というある意味、法や知識という規範に押し込められて「ひとごと」になっていたものをアートの力で「自分ごと」としてそれぞれの身体に取り戻し、「生きるための知恵」として他者へと伝えていく作業ではないか。
この文章のなかで触れた「アート」や「文化」という言葉を「ひと」とか「わたし」という言葉に置き換えて読み直してみたらどうなるでしょうか。文化の語源が「耕す」という意味の「cultivate」だという説明が大澤さんからもありましたが、アートの語源は「技」や「技術」を意味する「ars/arte」です。ひとが生きていくにあたって、自然や災害のみならず人生や社会の不条理など抗えないものすべてに対して、それでも抗い生きてきた技術の記録がアートであり、ひとが生み出した文化・文明なのだとしたら、お二人の話にもあったとおり、いま・この時代に必要なのは、アートの/文明の/ひとの無力さを忘れず謙虚に前に進むことだと思います。思い出すこと、少し忘れること、あきらめないこと、続けること。これらが車輪のように組み合って前へ進んでいくときに超常識で後押ししてくれるのが現代(における)アートの役割の一つであり、力ではないかと思います。そして、社会に対して文化やひとができる役割はそれぞれあり、一つではないと思います。カエルキャラバンが、GBFund以外にもあらゆるアートがまいた種が次の10年後やもっと先にどうなっているのかをともに見つめ、あらためて自分ができることはなんなのか、考えていきたいと思っています。

2015年9月17日
(2015年12月24日)

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