ミニ・メセナフォーラム

フランス・ナント市の創造都市とアート拠点「リユ・ユニック」の活動[レポート]

■2015年4月20日(月)13:30~15:00
■ゲスト:パトリック・ギゲール
■会場:協議会ライブラリースペース4月20日、フランス・ナント市にあるリユ・ユニックのディレクターである、パトリック・ギゲール氏をゲストにお招きし、企業メセナ協議会にてミニ・メセナフォーラムを開催しました。
パトリック氏は、ブラジル生まれのスイス人歴史家、作家、そしてキュレーターで、フランス元首相のジャン=マルク・エロー氏がナント市長時代にパトリック氏をリユ・ユニックの2代目ディレクターに任命し、現在にいたります。今回は日本文科科学大臣訪問等の予定で来日、企業メセナ協議会にてリユ・ユニックによる創造都市ナント市の文化・芸術政策についてお話しされました。
100枚以上もあるスライドの中で、まずパトリック氏はナント市の歴史について触れました。フランス西部にあるナント市は工業・産業都市として造船業が栄えていましたが、日本の造船業発展のあおりをうけて衰退、都市も衰えていったそうです。その中で、新しい産業、都市全体を活性化する新しい文化政策が必要だとの声が高まっていきました。ナント市の歴史は古く、多くの歴史的建築物がありますが、国宝レベルの建築物ではなくこれらを文化の礎にすることはできなかったのです。しかしこれらの産業遺産がナント市中心部に集中していたことから、これらの場所を文化政策を行う場所として活用できないかと考え、ナント市の創造都市形成が始まったそうです。

パトリック氏は形成の過程を3つの段階にわけて説明しました。
まず1段階目はイベントをすること。例えば、「カルゴ」というイベントでは、船荷を意味する“cargo”の通り、ナント市を1つの大きな船と見立て、市内でつくった船をロワール川に出航させました。また、立ち入り禁止のスペースを一般に公開し6日間にわたって行われた昼夜のイベント「レ・ザリユメ」は、1990年から1995年の間、ナント市で展開された多領域分野文化フェスティバルです。また、1979年にナント市を拠点として結成されたストリート・パフォーマンス集団、ロワイヤル・ド・リユクスの奇抜性・驚異性のある街中イベントも紹介してくれました。これはひとつのストーリーにそって動物や人間などの巨大な人形が生きているかのように街を歩いていくというイベントで、数日間にわたってストーリーがすすんでいくそうです。さらには、今では国際的な音楽の祭典として知られるラ・フォル・ジュルネが一日限りの小さなイベントとして始まったことや、とても安いコンサート・チケットを可能にしているのは多くの一般の投資家のおかげであることも話してくださいました。

パトリック氏いわく、ナント市の文化政策の大きな特徴として、投資家の他に市が税収入でまかなっているため、それゆえにイベントやパフォーマンスなどのチケットが無料になっているのだそうです。これは、つねにどのようなアートが市民に受け入れられるのかを考え政策を続けてきたナント市の結果だといいます。これらが1990年代に行われた第1段階。2000年代になると2段階目に入っていきます。産業遺産建築物を直したり、リノベーションしたり、もしくは新しい建築物を建て、文化政策のイベントやプロジェクトを発展・継続させていく段階です。つまり文化拠点をつくるということです。日本のトリエンナーレやビエンナーレに影響を受けたそうで、パトリック氏がディレクターを務めるリユ・ユニックも、もとは20世紀の初めから続いていた大きなビスケット工場の一部分をリノベーションし、イベントや公演スペースとしたことから始まったそうです。ビスケット工場のシンボルともいえる塔をリノベーションし、「世紀の物置」とよばれる建物の壁には市民から集められた15,000個もの工芸品が木箱に入れられ閉じ込められており、2100年にこの木箱を開けるそうです。リユ・ユニックは「ユートピア」というコンセプトで多様性のあるイベントやさまざまな規模の公演を年間300件ほど行っていて、本屋やレストラン、バーや温泉などもあり、「最もすばらしい芸術を見せる」都市におけるアートの中心部になっています。

 

リユ・ユニック外観                    リユ・ユニック1Fのバースペース

創造都市形成の過程は、最後に文化拠点とイベントや公演をつなげる段階へと進みます。パトリック氏は、特に文化と観光を結びつけることによって創造都市形成がうまくいくのではないかと話しました。例えば、ナント市でもトリエンナーレのようなアートプロジェクト(エスチュエール)を開催しているそうです。ロワール川河口地点に置かれたさまざまなアーティストによる永続的展示物をめぐる「ナントの旅」は毎年7~8月に開催され、世界中から観光客が古きものと新しいものの融合を楽しみながらナント市を観光していきます。アーティストによる展示物をナント市の経済的・観光的資源にしたいということから始まったプロジェクトだそうです。ナント市の土地や川、庭、そして建物すべてを利用し、楽しみながら町を再発見することが大切だと話しました。

プレゼンテーションの最後に、観光による経済効果として2011年から毎年20%ずつ宿泊数が増えていることを示しました。しかし、パトリック氏は入場者や旅行客の数で効果をはかることに対する疑問や公的資金の問題なども指摘しました。そして、フランス文科大臣が「文化は自動車産業より7倍も重要だ」と話していたことを例に、経済悪化を防ぐ手当としてフランスでは文化が注目されていることを紹介され、プレゼンテーションを締めくくりました。

Q:パトリックさんの劇場ではどのように公的資金を活用しているのでしょうか?そして、パトリックさんが行っているさまざまなプロジェクトをどのように継続させていこうとお考えでしょうか?
A: 我々が今展開しているプロジェクトはごく最近に始まったものです。ですから、予算を決めてから実行したというよりも、実用的・実験的にプロジェクトを展開しながら資金のやりくり、予算の決定をしていきます。しかし、これらのプロジェクトに反対する人もたくさんいます。アートの力と熱意をもってプロジェクトを展開し、観光的効果などを数字にし「見える化」することによって少しずつですが評価されはじめています。ですから、これからもこのようにプロジェクトを継続していこうと考えています。

Q:シャルリー・エブド社の襲撃事件を受けて、ナント市のイベントや公演で表現が委縮したり、表現方法が変わったのではありませんか?
A:それはありません。その逆です。市民が表現の自由を守るために国中でさまざまなデモを行っています。
我々が開催している文学フェスティバルではイスラム国に死刑を宣告されるほどの国際的アーティストを招いています。もちろん、安全対策もしっかりしなくてはなりませんが。

Q:「文化は自動車産業より7倍も重要だ」とおっしゃっていましたが、それはフランス全体の考えなのでしょうか?
A:これはおそらく、文化予算を守るためにある程度計算された数字・言葉ではないかと私は思います。一般的には「文化は費用ばかりかかる」と皆思っていますから、これはフランス全体の考えではありません。

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