メセナアワード2010 メセナ大賞受賞

石見銀山の歴史・文化が育む夢を次代につなぐ

中村俊郎 中村ブレイス株式会社代表取締役

中村俊郎 中村ブレイス株式会社 代表取締役

―メセナ大賞の受賞、誠におめでとうございます。民家を改修してのまち並み保存や、石見銀山に関連する資料収集など長年にわたる地域貢献が高く評価されました。

とても立派な賞をいただき、ありがとうございます。決定の一報が入りました時には、「メセナ大賞とは本当でしょうか?」と逆にお尋ねしたほどでした。
1974年12月20日、中村ブレイスの看板を大森の自宅前の納屋を改装した10坪の工房に掲げました。カリフォルニアで義肢装具を学び、帰国して3ヶ月後のスタートでした。社員もお金もお客もなく、私ただ一人で、工房には道具すら十分にありませんでしたが、生まれ故郷に元気で帰り、自分の工房が持てる喜びと希望に燃えていました。もう半世紀も前、私が12〜13才のころに、明治生まれの父は「俊郎や、この石見銀山はマルコ・ポーロをあわせて考えるとおもしろいぞー」とこたつにあたりながら語ってくれました。ゴーストタウンになりそうなまちで夢を語ってくれる父親から、いつしか私は広い世界を見ることを教えられたのです。かつて世界の人々が求めた銀があり繁栄があった、その深い歴史や文化は何よりのお宝です。そこで夢を大切に、一歩一歩あわてることなく、この地から若者を育てるのだと自分に言い聞かせました。
今、石見銀山の入回の代官所跡の一角に社屋を持っています。一品受注製作の義肢装具ですが、創業して10年後からは日本国内と海外にも製品を出荷できるようになりました。

―石見銀山の世界遺産登録に努め、「なかむらスカラシップ」を通じて、世界に大森の魅力を伝えておられます。

98年から2006年の8年間、当時の島根県澄田信義知事から県の教育委員に任命され、後半の5年間は教育委員長の責務を負いました。知事は93年より、石見銀山を世界遺産に登録しようと尽力していました。ちょうど50代にさしかかる仕事も大切な時期でしたが、自分にとってもうれしいことでしたし、少年少女に夢を語るのも仕事と思い、私のすべてをかけようと思いました。石見銀山の世界遺産登録に向けて、教育委員会での旗振り役として夢中になったのは当然のことでした。そして、ユネスコ大使、国、県、市民すべての人々のお力添えで、07年にはニュージーランドのクライストチャーチで、奇跡的ともいわれた世界遺産登録が実現できたのです。
時折私は、自分の青春をつくつてくれたアメリカ留学時代をとてもありがたく思い起こします。そこで20年前から毎夏、米国メイン州の中学・高校生の音楽祭での優勝者を古い日本家屋のわが家に招いています。妻も協力してくれ、独自の「なかむらスカラシップ」を創設しました。声楽、ピアノ、フルートなどの音楽大使が来日し、静かな石見銀山のまちで夏休みを過ごし、学校体験もしながら地元の子どもたちと音楽交流をするのです。エミリーという子は13才の滞在を機に日本語を勉強したいと金沢大学に留学し、その後4年間は青森で外国語指導助手を務めて、中村家の気のおけない娘となりました。ほかにも、このまちを訪れた子は皆、私たち夫婦を「お父さん、お母さん」と慕ってくれ、世界の各地で石見銀山の世界遺産登録を心から喜んでくれました。

ー次代を担う人たちに夢をつなぐこともメセナ、とのお考えです。

中村ブレイスの社是は「Think」です。思いがけず怪我や病気で手足や乳房を失った人々がリハビリ訓練を行う、その方への医療用具の製作を仕事としています。第一線の義肢装具製作者となるのに十数年は要します。早いもので、創業して36年となりました。この間、地域の若者たちが粘り強く努力を重ね、「Think」しながら経験豊富な技術者となって、世界各地の人々にも技術を提供できるほどに成長してきました。500人にも満たないまちですが、社員の子どもたちも地元の幼稚園や小学校に通い、明るく元気に育っています。
私はこれから、社会保障制度も整っていない途上国の人々や子どもたちの義足や装具をつくってみたいと構想しています。電気や金属技術・プラスチックもない貧困な国でもつくれる義足です。天然の竹や木材を用い、その国の職人が持つ技術を有効にいかすのです。竹細工や工芸などの高い職人文化で、現地の人々の誇りを大切にしながらつくることができるのではないか。今夏、その一歩として、フィリピン・パナイ島の両足欠損の少年のもとで竹の義足が誕生しました。「大地を一人で歩きたい!」その少年の夢を実現できるのは、世界中の人々の文化とやさしさだと思います。

[聞き手・構成:萩原康子|小野光子]


なかむら・としろう
1948年生まれ。66年京都市大井義肢製作所入社。72年米国カリフォルニア州、モダンオーソペディック社に研修入社、UCLAメディカルスクールなどで学び、米国装具士補に認定される。趣味は石見銀山に関する国内外の古地図・古紙幣・古典書の収集と地元高校野球の応援。

メセナアワード2010 メセナ大賞受賞

中村ブレイス株式会社
「世界遺産 石見銀山」における企業経営と地域貢献

活動内容
2010メセナ大賞、中村ブレイス株式会社島根県石見地方、大森の地を中心に石見銀山の鉱脈は広がる。江戸初期には世界の銀産量の約3割を占め、20万もの人で栄えた大森町だが、大正12年の休山以降人口は激減、現在は500人にも満たない。
義肢装具の製作を行う中村ブレイスは1974年、大森出身の中村俊郎氏が京都とカリフォルニア州での研修を経て帰郷し、ただ一人で自宅前の納屋で創業した。新素材技術で義肢装具や医療器具を次々と研究開発し、特にシリコーンゴム製の手指、人工乳房などは「メディカルアート」と称して、一人ひとりの特徴に合わせたリアルで美しい仕上がりで国内外に知られる。
中村氏は社業の傍ら、大森の活性化に尽力する。古い民家を改修して社宅などに活用するほか、飲食店など店舗に貸与、これまでに35軒の空き家が蘇り、大森の伝統的な町並みを保ってきた。元酒蔵はメディカルアート研究所の工房とし、取り壊し予定だった明治期の銀行を移設して「なかむら館」を開設。同館で展示されているのが、25年にわたり収集してきた石見銀山に関連する資料約100点である。県外・国外に流出していた希少な絵巻や書籍、石見銀山でつくられた古丁銀など、銀山の歴史的重要性を証明する資料の数々は2007年の世界遺産登録に大きな役割を果たした。
ほかにも、夏休み期間に海外の子どもを受け入れる「なかむらスカラシップ」や、銀山に関する研究や文化活動を表彰する「石見銀山文化賞」の創設、大森代官所跡リニューアルなど地元への貢献は著しい。大森から世界へ――社業においてもメセナ活動でも、独自の価値を発信して多くの人を惹きつけている。

企業プロフィール (2010年3月現在)
本社所在地:島根県大田市
業種:義肢装具・人工乳房・医療用具
設立年:1982年
資本金:2,000万円
従業員数:70人
URL:http://www.nakamura-brace.co.jp/

『メセナnote』67号掲載(2010年12月3日発行)

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