メセナアワード

メセナアワード2011贈呈式

2011年11月25日(金)、「メセナアワード2011」贈呈式をスパイラルホール(東京・表参道)にて開催しました。
贈呈式では各受賞活動の紹介につづき、近藤誠一文化庁長官より「文化庁長官賞」部門、企業メセナ協議会 福原会長より「メセナ大賞」部門の賞の贈呈をおこないました。 受賞企業・団体の代表者はそれぞれ受賞の喜びをスピーチされ、選考委員からはそれぞれ選考評が述べられました。

メセナアワード2011贈呈式 受賞者スピーチ

千島土地株式会社 代表取締役社長 芝川能一 様

メセナ大賞:「北加賀屋クリエイティブ・ビレッジ構想」~創造的なまちづくりへの挑戦

このたび名誉あるメセナ大賞を受賞し、大変光栄に思っております。選考に当たられた先生方、ならびにメセナ協議会の方にまず厚く御礼を申し上げます。
わたくし個人は、つい最近まで芸術文化とは全く無縁な存在でした。その転機となったのが、先ほど映像でもご案内のありました、2004年の造船所土地におけるアート活動です。わたくしどもがどちらかというと持て余し気味でありました造船所跡が、アートの力によって見事によみがえるさまを、まざまざと目撃したわけです。
その経験をもとに、最近は遊休化した資産をアートの力によって活性化するという取り組みに邁進して参りました。
新たな活動が始まるたび、これまで眠っていた施設に新たな血が注ぎ込まれ、見事によみがえるさまにはなはだ感心し、芸術文化の持つ、価値を作る力に感心いたしました。
わたくしどもの会社は資産管理が目的でありまして、わずか20数名の会社でございます。このような街づくりは、われわれの単独の力ではとてもできるものではありませんでした。行政の方々、従来から街にお住まいの方々、学識研究者や海外視察を指導いただいた方々、この北加賀屋の地で活動をされたあるいは現在も活動されている方々、そして北加賀屋に住み着いた新たな住民の方々、そのほか大勢の方々に支えられてこの名誉ある賞をいただいたものと思っております。
どちらかといいますと、われわれはただ場を提供したのみで、彼らこそ受賞にふさわしい人間ではないかと思っております。きょう何人かの方々はこの場に駆けつけてくれています。
最後に、わたくしどもはこの活動を始めてまだわずか数年です。今回の受賞は、これからもしっかりと活動を続けていくようにという励ましのメッセージであると肝に銘じまして、受賞に増長することなく、身の丈に応じ、さらに継続は力なりという言葉を信じて、これからも進んで参りたいと思います。本日はどうもありがとうございました。

朝日酒造株式会社 取締役社長 平澤 修 様

酒唄里づくり賞:酒蔵を核とする自然保護・文化活動

このたびは大変価値ある賞をいただきまして、誠にありがとうございました。わたしどもは新潟県のほぼ中央、新幹線の長岡駅から車で約30分ほどのところで、清酒の製造・販売をしている会社です。創業は1830年、江戸末期、天保元年、「久保田」という銘柄で創業いたしました。以来180年ほど、ほんとうに恵まれた自然のなかで酒にとって大切な、きれいな水と良質な酒米にも恵まれまして地域の人たちと共に今日を迎えております。
これからさらに酒造りをしていきながら発展していくためにはいまの自然環境を守るということが必須条件です。25年ほど前から、ほたるともみじをシンボルとして、地域の人たちとともに自然保全活動を行って参りました。また10年前、2001年には「財団法人こしじ水と緑の会」を設立し、新潟県の自然保護活動のお手伝いもさせていただいているところです。
今回、受賞の対象になりました「酒造り唄」は、昭和30年頃まではみんなが酒造りの工程ごとに歌っていたのですが、最近はイベントぐらいでしか歌われなくなり、忘れ去られてこの世から消えてなくなっていくのではと大変危惧いたしまして、なんとか後世に残したいという思いから、きょうも多分おいでになっていると思いますが、茂手木潔子先生また菅野由弘先生にご相談しお手伝いいただいて、創作合唱曲「酒を造る里のものがたり」としてよみがえらせていただきました。合唱団も設立し、1年ほど練習をしたのちに、わたしどものエントランスホールで発表会を行いました。以後、小学校や国立劇場からも出演の依頼があり、酒造り伝統文化を引き継いでやっているところです。
今回の受賞を励みに、これからも地域とともにまた地域のひとの誇りになるような企業づくりに励んでいきたいと思っております。
最後になりましたが、このメセナアワードのますますの発展を祈念いたしまして御礼の言葉とさせていただきます。どうもありがとうございました。

大阪ガス株式会社 代表取締役副社長執行役員 黒田晶志 様

演劇ともしび賞:OMS戯曲賞による関西の演劇支援

どうも本日は栄誉な賞をいただきまして、誠にありがとうございます。「演劇ともしび賞」という名の賞をいただきましたんですけれども、日ごろ火とか炎を大事にしていますガス会社にとりましてはぴったりの名前で、非常にチャーミングな賞をいただき大変喜んでおります。偶然ではございますが、社員のボランティア活動も「小さなともしび運動」という名前で展開しており、今年は30年の節目を迎えております。
これも偶然なんですけども、わたし今週ワシントンのアーリントン国立墓地のケネディ35代アメリカ大統領のお墓に行って参りました。丘には永遠のともしびが、天然ガスが燃え続けており、またその傍らの記念碑に、50年前の就任演説の一節が刻まれておりました。見てみますと「アメリカ国民のみなさんへ」ということで「国家があなたになにができるんかではなくあなたが国になにかできるかを自問してください」ということと「世界市民のみなさんへ」ということで、「アメリカがあなた方になにができるんではなくわたしたちが人類の自由のためになにができるんかを自問してください」という言葉が刻まれておりました。
これは今日のいわゆるCSRの根本の在り方と共通のところがあるなあと思いました。企業はやっぱり「社会になにができるんか」ということを自問しながら、社会的責任を果たしていくということが求められていると思います。
今回いただきました賞は、関西の演劇をもっと元気にしていこうというみなさんのご尽力の賜物と思っておりまして、みなさんと一緒に喜びあいたいと思っております。われわれは今後とも地域の活性化のために尽力していきたいと思いますので、よろしくお願いいたします。
本日はどうもありがとうございました。

トヨタテクノミュージアム 産業技術記念館 専務理事 加藤武彦 様

動く技術遺産賞:トヨタテクノミュージアム 産業技術記念館 産業遺産の保存とモノづくり文化の伝承

わたしどもの産業技術記念館の活動に対しまして「動く技術遺産賞」という、素晴らしい、活動にぴったりの名前の賞をいただき誠にありがとうございました。選考委員の先生方、企業メセナ協議会のみなさん方、そして創立以来お越しいただいた300万人のみなさますべてに、厚く御礼を申し上げたいと思います。
先ほど紹介がありましたように、産業技術記念館はトヨタグループの発祥の地であるトヨタ紡織株式会社の旧本社工場を1994年に記念館に直したものです。改築の際には、わたしどもの創業者の豊田佐吉が、1911年にトヨタ自動織機の研究開発のために作りました、赤レンガの建物をできるだけ壊さないでそのまま保存し活用するということにしたわけです。
この記念館を作ろうと考えた頃、トヨタグループのトップの問題意識は当時の若者の製造業離れということにありました。理事長は豊田栄二がやっておりますが、開館に際しまして彼は「これまで、モノづくりというのはどこの店先でも見ることができた。しかし工業がだんだん高度化するにしたがいそういうものが見られなくなった。昔は桶屋さんが桶を作っているのを子供たちは見ていたし、鍛冶屋さんが鍛冶屋の仕事をやっているのを見ていた。これがなくなってしまった」ということを考えました。そこでこの記念館で、昔からのモノづくり、われわれがグループとしてやってきた繊維機械産業、そして自動車産業を通じてモノづくりの変遷を見ていただく、これによって若者たちがモノづくりについて何がしか理解していただければありがたい、という趣旨のことを言っております。
このように当時の経営陣はモノづくりの将来を懸念し、この記念館のミッションを「モノづくりの面白さと大切さ、そしてそのモノづくりを支える研究と創造の精神をお伝えしよう」ということに決めたわけであります。
わたしたちが扱っております繊維機械や自動車技術の変遷を考えますと、これはまさに近代日本の発展を支え、先進欧米諸国の技術力に追いつくために先人が一生懸命研究と開発をした、その苦労の記録でもあるわけです。この「研究と創造の精神」という抽象的なものをみなさんに理解していただくために、わたしどもが使っておりましたいろんな機械を、ただ展示するだけではなく実際に来館者のまえで動かしてご覧に入れるということに重点を置いております。まあそんなことでこのたび「動く技術遺産」というそういう賞の名前にしていただいたのだろうと思います。
これを機会にますますみなさん方にモノづくりについてご理解いただく活動をして参りたいと思っています。これからもいろいろご支援をいただきたいと思っております。きょうは本当にありがとうございました。

公益財団法人東日本鉄道文化財団 理事長 大塚陸毅 様

文化の枕木賞:東日本における地域文化支援

ただいま「文化の枕木賞」というすばらしい賞をいただくことができました。わたしはこの話をおうかがいしたときに、この賞の名前にひどく感動いたしました。枕木というのはみなさんご承知の通り、レールとレールをつないでいるだけのものというふうに思われるかもしれませんが、これは大変大きな役割を果たしています。鉄道というとやはり華やかな新幹線などがみなさまの目に留まる機会が多いと思いますが、枕木は二本のレールをしっかりと留め、列車の安全運行には欠かせない設備であるわけです。
東日本鉄道文化財団は、わたしどもJR東日本が少しでも社会貢献活動をして行こうという考え方のもとに1992年に設立され、これを通して、いろいろな地域のみなさま方との貢献活動あるいは世界各国との連携を図って行こうということでスタートしました。そのなかの大きな柱が今回表彰の対象にもなりました、地方文化活動の支援です。今回の東日本大震災により、わたしどもの設備も大変大きなダメージを受けましたが、同時に東北の地域のいろんな文化遺産、あるいは伝統文化等々も非常に大きな被災を受けたわけです。ただそういうなかで改めて感じますことは、地方の伝統文化が、実際はその地域に大変大きな役割を果たしているということでもありました。
田舎におけるたとえば歌舞伎、お祭り等々のために、一年に一回人が集まる、地域のみなさんが集まるというように、社会というのが文化を中心にしながら機能してるんだなあということを大変強く感じ取ったわけです。こういったものがあるということが、そこに住んでおられる方々の心の支えにもなっている。こういったものが多く被災をするということは、やはり地域のそういった人とのつながりにとっても非常に大きな問題であり、これから財団でいろいろお手伝いをしていかなければいけないなと感じております。
鉄道というものは一般の方々に日ごろからお馴染みいただいておりましてですね、ほとんどの方には水のようなもの、空気のようなもの、そばにあるからあまり感じないというところがある一方、一度事故を起こすと非常に深刻な事態にもなります。しかし、鉄道がそばにあって大変信頼ができるということをみなさんにさらに知っていただく、理解していただくということが大事ではないかと思います。
今回の地震を機に、東日本鉄道文化財団としてもさらに地方の伝統文化の保存・継承に努力をして参りたいということを最後に一言申し上げ、本日の受賞への御礼の言葉に代えさせていただきたいと思います。本当にありがとうございました。

油機エンジニアリング株式会社 代表取締役 牧田 隆 様

解体新生賞:古民家の修復保存と活用

「メセナアワード解体新生賞」をいただきまして、本当に胸がいっぱいで感動しております。わたしの会社は太宰府市に本社があり、従業員30名くらいの会社で、ビルとか家屋をいかに解体するか、またそうした解体のための機械のレンタルを本業としています。
そういう仕事の中でわたしも常々、解体されていく古民家を見ながら、「素晴らしいのに、残せばいいのにな」と思っていた6年ほど前に、福岡県糸島市というところで「民家を解体するというので見てほしい、駐車場にしたい」というお話がありました。持ち主の方と一緒に中に入りましたら、土間のうえに素晴らしい吹き抜けと漆の塗った回廊があり、もうそれを見たときに本当にびっくりして、100年ほどのまえのにぎやかさが戻ってくるような感じがありまして、ぜひここは残しましょうということで持ち主の方にもいろんな事例を挙げながら相談しまして、結果的に当社のほうでそこを借り受け修復して、以来5年間営業活動しております。
ちょうど糸島市が、福岡市の隣ですけれども非常に農業・漁業が盛んなところで、食材・食の宝庫なものですから、通常はランチの営業と、商店街のほうもだいぶさびれたりしておりますので、街歩きとか地元のミュージシャンのライブとか、そういうイベントを取り上げながら運営しております。
わたしも古民家を修復して活用するということから、自分自身でもやはり日本の住まい、石、それから地元の木材、木を使ったその建物、職人さんたちがつくったものの素晴らしさを、地域の誇りあるいは日本の住まいの誇りとして、今後も残して活動して行きたいと思っています。
本日メセナアワードを受賞して、ますますそういう気持ちも強くなりまして、一地方でありますけれども、そこから全国に活動がPRできるぐらいに、今後ともがんばって行きたいと思います。
選考委員のみなさま、また企業メセナ協議会のみなさまには大変お世話になり、厚く御礼申し上げまして受賞のあいさつと代えさえていただきます。ありがとうございました。

六花亭製菓株式会社 代表取締役社長 小田 豊 様

文化庁長官賞:50年にわたる月刊児童詩誌『サイロ』の発行

清川小学校1年モリモトヒロタカくん
「映画」
映画を観た。あつくてからだがとけそうだ。
創刊号の一番最初に載った一篇でございます。さる5日の日には北海道文化放送さんがこの50年をまとめて一時間の番組を作っていただきました。
改めて視聴者の一人として番組を見ながら、大仏次郎さんの「宗方姉妹」という作品の一節に、「新しいって古くならないことよね」というフレーズが出てくるのを思い出しました。
50年たっていま番組を見ながら、ああ、子供たちの詩っていうのは古くならないんだなっていうことを改めて再認識しながら喜びに浸りました。創刊当時の時代背景はまさに米ソ冷戦55年体制下だったと思います。そんななかで、わたしの父が体制側の教育委員長さんとそれから北海道教育教職員組合、いわゆる北教組の組合長さんから推薦文をいただいたことが思い出されます。両者から推薦書をいただいたことがたぶん、『サイロ』が今まで続いたことのターニングポイントではなかったかと思って振り返っています。
今朝、仏さんに報告をして家を出て参りました。明日帰ります。もう一度父に報告したいと思います。
お世話になりました。
ありがとうございました。

選考評

逢坂恵理子 氏

受賞されました企業それから財団の皆さま、そしてこうした地道な活動を実現されてきた関係者の皆さま、本日はおめでとうございます。今回は多様性を象徴するように本当にさまざまな活動が審査の対象になりました。
審査員の数だけいればそれだけ意見が割れるというところなんですけれども、大賞を受賞しました千島土地の皆さまを始めとして、本当に地道な活動をされたことを心よりお祝い申し上げたいと思います。
わたくしの感想では、今回はどちらかというと地道な、地味な活動が中心になったかな、焦点になったかなと思います。
コンピューター社会になり、ワンクリックで情報を得たり、さまざまな便利な生活を営むことができる時代にあって、文化の活動というのは、やはり人と人とをつなぐアナログ的な活動です。文化活動を支援すると一言でいいましてもそれは簡単なことではなくて、継続するための努力というものが必要になってくると思います。ですけれども今回は、こうしたコンピューターの時代にあって、新しい活動というよりも、子供の言葉の表現力や、戯曲をつくる、地域の有形無形の活動を支える、といった本当に草の根的な、息の長い活動に焦点があてられたのではないかと思います。
わたくしも美術館で働いておりますけれども、アートの力、それから創造性というものを伝えていく、それから継続していくというのは一筋縄ではいきません。そういう意味でも大企業から小さな企業まで多くの方々が文化の支援を本当に自分たちの基本としてとらえていただいて活動していただくということに、文化事業に関わる者として改めて御礼を申し上げたいと思います。
あんまり話しますとほかの方々のお話もありますので、このくらいにさせていただきたいと思いますが、もうひとつ付け加えますと、先ほどもお褒めの言葉をいただきましたけれども、賞のタイトルをつけるのがわたしたち審査員の楽しみでもございます。賞のタイトルをそれぞれの受賞者の方々に味わっていただければと思います。どうもおめでとうございました。

【プロフィール】
横浜美術館長

木下直之 氏

本日受賞されました企業、財団の皆さまおめでとうございます。わたくしだけではないんですが、審査員は3年やって参りまして、これで最後ですよね、たぶん(笑)。少しその3年間を振り返る形で、審査を終えた感想をお話しさせていただきたいと思います。
今年の審査を終えて思い出すことが3つほどございます。それは感銘を受けたことでもあるんですけれど、一つは企業メセナの在り方は本当に大きく変わってきたなということです。
わたくしは30年ほど前に関西のある美術館の学芸員を務めていたんですが、その頃は企業の支援というのはおそらく既存のイベントに対して金銭的な支援をすることが圧倒的に多かったと思うんですね。いわゆる冠イベントといったらいいでしょうか。今はそうではなくて先ほどもご挨拶のなかにいろいろお話が出てきましたが、簡単に言ってしまうと、関係を作っていく、人と人とのつながりを作っていく、それを補強していく、今年は「絆」という言葉が重要な言葉として浮上しましたが、まさに関係をそれぞれの地域のなかにつくっていく、そういうところに重点が完全に移行しているように思うんですね。
別の言葉で言えば、企業メセナというのは外側から支援していくというよりは、すでに主体の一部、文化の担い手の一部であるということをではないかなと思います。
それから二つめは、持続力ということです。それはもう今年度のアワードのなかで六花亭の「サイロ」という本にまさに代表されるのではないかと思いますが、各地で多くの企業が息の長い活動をされているということに感銘を受けました。
それから最後、三つめはですね、企業メセナは芸術文化に対する支援ということを謳っているわけですが、芸術文化の中身が非常に変わってきたように思います。
いわゆる美術、音楽、演劇といった、誰が見てもこれは文化であるというものに対する支援だけではなくて、非常に芸術文化の概念が広がってきたと思うんですね。それは今回、機械それから民家といったものが芸術文化の支援のなかで大賞として入ってきたということによく示されていると思います。これはおそらく日本の社会の在り方というものがこういうところに支援を向けていこう、大切にしていこう、というなかで日本の社会をまた大きく変えていく力になるのではないかなというふうに思います。
審査員だけがここでスポットライトを浴びてしまうんですけれども、実はこの審査はわれわれのところに来るまでに大変な調査が行われております。最初の年に本当にびっくりしました。こんなに緻密に調査をして選び出す賞はほかにないんじゃないかなと思うくらいなんですね。それもこの企業メセナ協議会の活動の非常に重要な部分ではないかなと思うんです。そのことにも敬意を表しまして今日のお祝いの言葉と代えさせていただきます。どうもおめでとうございました。

【プロフィール】
文化資源学、東京大学教授

小沼純一 氏

受賞された企業、そして財団の皆さま、おめでとうございます。
木下先生がおっしゃったように、3年間の任期なので今年がもう最後になるわけですが、3年間というのは意外に短いような長いような複雑な心境になります。今回受賞された方々のなかには3年を通じて、「ああ、今年出てきた。でもはずれてしまった。」というところがいくつかあり、「これはわたしたちがいるうちにぜひ受賞を」というような企業もございました。それが受賞できたことが、個人的にはとても嬉しかったです。
応募書類も毎年全く同じものがくるわけではありません。書き方が少し違う、そうすると見え方が違ってくるんですね。それによって、「ああ、こういうことだったらば」と思うことがあります。ですので、ここにいる方々の中にはこれから応募される方もいらっしゃるかもしれませんが、ある種どういうふうに提示するか、あるいはどういうふうに見えるかをお考えになると、また次につながっていくんじゃないかなという気がいたします。
3年間みてくると、いろいろな形がありうるんだということ、そして企業や財団のメセナ活動というのも一つの表現活動といえるんじゃないかと思います。こういう表現性もあるんだということを、わたくしは常に教えられてきました。それがすごく嬉しかったです。たとえば、わたくしの学生で音楽がやりたいとか、芸術関係のことがやりたいという学生が、でもそれで食えないからとか、あるいは会社に勤めるんだったらどういうところがいいかを相談しに来たりします。しかし、全然そう見えないようなところでも、組織っていうのはある表現性を持っているんだ、こういうことをやっているところがあるんだということを、わたしは学生たちに伝えることができるようになったような気がします。
そういう意味ではこの3年間務めさせていただいて、わたくしたち自身がとても勉強になりました。
今年は3月11日に東日本大震災がありました。ここにノミネートされているのは、それ以前の活動ということにほとんどなると思います。これから先が大変なのかもしれません。わたしたち選考委員の任期はここで終わりになってしまいますが、むしろこれ以降を見つめ続けることを忘れないでいきたいなと思います。改めておめでとうございました。

【プロフィール】
音楽・文芸批評、音楽文化論、早稲田大学文学学術院教授

白石美雪 氏

ご受賞なさいました企業の皆さま、財団の皆さま、どうもおめでとうございます。
先ほどから今年が3年目の審査というお話や、今回は地道なものがたくさん選ばれたという話が出ましたが、これはですね、わたくしは3年の審査という経験を経て審査員の目が肥えたのではないかと思います。非常に地道なものにも細かく目が届くようになったのではないかという実感を持っております。
当初、応募一覧を見ましたときに音楽のジャンルは少し減ったのかなという印象も実はございました。しかし、実際は今回ご受賞なさいました朝日酒造さんの酒造り唄を始め、たとえば北加賀屋でありましても、あるいは古材の森でありましても、もっと幅広いプロジェクトのなかで、自然環境を保護する、あるいは街づくりというものを推進するというなかに、音楽がきちんと柱として位置づけられているということが見えてまいりました。
暮らしと地域とに密接に結び付いた音楽という、非常に重要な側面をメセナが支えている場面を見まして非常に素晴らしいと思いました。
4番目というのはやはり話がだんだんと重なって参りまして恐縮ですが、本当にメセナ協議会のスタッフの方々のご尽力があって、わたくしどもきちんとした審査ができて参ったと思っております。そのことも感謝をこめて申し添えたいと思います。本当におめでとうございました。

【プロフィール】
音楽評論、音楽学、武蔵野美術大学教授

扇田昭彦 氏

わたくしの専門の演劇の分野について話しさせていただきます。大阪ガスさんの「OMS戯曲賞」は、今までに何度も応募していただいていたんですが、今年は幸いにして、わたしを含めた多くの選考委員の方の支持を得て受賞となったことを大変喜んでおります。
OMS扇町ミュージアムスクエアというのは、大阪にあって大阪ガスさんが所有して運営している非常に有名な演劇の建物でした。劇団の稽古場と劇場を兼ねていたわけですけれども、老朽化のために2003年に残念ながら閉館になってしまいました。
大阪ガスさんが偉いと思うのは、ふつうメセナの一部分がなくなってしまう場合は、全面撤退ということが多いわけですが、大阪ガスさんの場合はハードがなくなってもソフトを活かして戯曲賞をそのまま継続されたということですね。さらにその内容を豊かにして継続されたということです。これはメセナのやり方としても考えていいことではないかなと思っております。
ご承知かと思いますが、大阪の演劇は公共の劇場が減るなど、環境としてかなり厳しい状態にあるわけです。そういうなかで、大阪ガスさんがこういう形で関西演劇を支援する体制をずっと続けておられることが大変嬉しく、また敬意を覚えております。どうもおめでとうございました。

【プロフィール】
演劇評論家

中谷 巌 氏

受賞者の皆さま、おめでとうございます。
わたくしは、今ご挨拶されました選考委員の中ではどちらかというとアンチ文化・アンチ芸術の経済の専門家なんですね。そういうことでちょっと違うことを申し上げたいと思います。
我々は自由主義市場経済の中に住んでいるわけですけれども、この市場、マーケットというものは、値段がつくものを取引の対象としているわけです。そして企業は値段のつくものを取引することによって利潤を上げて生存している、こういう存在ですよね。ところが、文化芸術というものはなかなか値段がつかない。つまり、値段がつかないものはこの自由主義市場経済の体制の中では、どちらかというと放置されていく。したがって、自由主義市場経済体制が拡充すればするほど文化芸術は棄損され、社会がすさんでいく、一般的にはこういう関係があるわけですよね。
ところが、3年間選考委員をさせていただきまして、それは表面的な見方だと感じるようになりました。すなわち、確かに文化芸術そのものになかなか値段はつかない、利潤活動に直接つながらない、したがって多くの企業はこれを無視したがる。こういうことは事実でありますけれども、今日受賞された企業、財団の皆さまをはじめ、メセナ活動を活発にやっておられる企業というのはですね、けっこう業績もちゃんとされているんですよね。それはなぜかというと、実はこの文化的基盤というもの、これがその企業のハートを形作っていくと、こういうことではないか。なかには芸術文化活動をメセナでやっている、ちょこちょこっとやっている、たいしたことなくてもまあしょうがない、一種の罪滅ぼしみたいな形でやっているというような見方もありますが、ここで受賞されているような企業・財団のみなさまの活動レベルになりますと、それは実はその企業の基盤そのものを支えるインフラにすらなっている。そして、それが企業、組織を支える一つの魂というものを形作っていっているんじゃないかなと思うんですね。
ですから非常に直接的、短絡的に見れば、経済と文化というものは相反するように見えますけれども、わたくしがこの3年間選考委員をして学んだことは、「必ずしもそうじゃない。文化というものを重視し、それに深く根ざすような持続的な活動をされている企業というのはやっぱり非常に強い、あるいは強くなる。」という確信です。
それで今日、非常に激烈な選考を通じて受賞された皆さまからはどういう方々が授賞式に来られるんだろうと思って、わたくしとっても楽しみでした。けれども、壇上におられる受賞者の方々をご覧になってどうお感じになられましたでしょうか。わたしは、皆さまやっぱりいい顔されているなと思ったんですね。つまり、やはりただ金儲けっていう短絡的な市場経済での生き残りではなくて、一見関係ないようなところに本当に魂を賭けておられるということが、壇上におられる方々の立ち居振る舞い、表情の中にすら現れている。大変失礼なことを申し上げて申し訳ございません。そういうふうに感じた次第であります。
文化というものは、実は日本社会、日本経済そのものを下から支える、そういうジャンルなんだなという思いを新たにしました。今日は本当におめでとうございました。

【プロフィール】
三菱UFJリサーチ&コンサルティング理事長、不識塾塾長

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