公益財団法人アサヒグループ財団

開館30周年を迎えた「アサヒグループ大山崎山荘美術館」が描く人と企業の幸せな循環

イギリスのチューダー・ゴシック様式を基調とした本館

 

木津川・宇治川・桂川の3つの川が合流する交通の要所として古代から栄えた、京都府乙訓郡大山崎町。「天下分け目の天王山」で知られる天王山の中腹、川と山々に囲まれた雄大な景色を臨む場所に、公益財団法人アサヒグループ財団が運営するアサヒグループ大山崎山荘美術館がある。

実業家の加賀正太郎によって、大正から昭和初期に建築された登録有形文化財の「大山崎山荘」を本館として、建築家・安藤忠雄設計の展示室「地中の宝石箱」(地中館)、「夢の箱」(山手館)とともに公開している。

さらに、約5,500坪の敷地面積を有する庭園には、数多くの植物が配され、四季折々の表情を楽しむことができる。

訪れた初夏は、菖蒲や紫陽花が見頃を迎えていた

 

1996年の開館から30年を迎えた今年は、30周年を記念した展覧会が2つ開催中だ。

開館30周年記念 没後100年 クロード・モネ展」では、アサヒグループが所蔵する全8点のモネ作品を、2027年4月11日(日)までの期間、一部作品を入れ替えながら常時6点展示。《睡蓮》のために安藤忠雄氏が設計した円形の展示室「地中の宝石箱」(地中館)で鑑賞することができる。

地中館へと続く階段の右手から、睡蓮の池を臨む

 

包みこまれるような静謐な空間で、モネの作品とじっくり対峙することができる

 

同時開催している「開館30周年記念 山本爲三郎・河井寬次郎没後60年記念 共鳴 河井寬次郎×濱田庄司 ―山本爲三郎コレクションより」では、民藝運動を初期から支援していた、朝日麦酒株式会社(現アサヒグループホールディングス株式会社)初代社長の山本爲三郎のコレクションを展示。ともに研鑽を積み、民藝運動の中心的人物であった河井寬次郎(1890-1966)濱田庄司(1894-1978)二人の人生をたどりながら、両者の作品の魅力を紹介している。本展は2026年9月6日(日)までの開催だ。

本展は本館(上)山手館(下)両方にわたっている。

 

河井・濱田の二人がともに技術を磨き合いながらつくった時代から、やがて二人の作風が変わっていくところまでを展示で追うことができる

 

本美術館を運営する公益財団法人アサヒグループ財団は、1984年11月に設立した「財団法人アサヒビール生活文化研究振興財団」(のちに「アサヒビール学術振興財団」に改称)と1989年3月に設立した「財団法人アサヒビール芸術文化財団」(のちに「アサヒグループ学術振興財団」に改称)が合併し、2023年4月よりスタートした財団だ。現在は、学術研究や芸術文化活動への助成支援と、美術館の運営にかかわる事業に取り組んでいる。

また、本美術館の芸術振興活動は、メセナアワード2007で文化庁長官賞を受賞した。その際には、近代建築を文化創造的に活用した先駆的な事例であることや、地域の文化力を高める活動であることなどが評価された。

「近代建築を活用した」とある通り、本美術館は取り壊しの危機にあった大山崎山荘の保存再生・活用を目指して開館したという背景を持ち、その設立はアサヒグループの歴史とも深く結びついている。

なぜアサヒグループがこの山荘の保存再生に立ち上がったのか、また、どうしてこの山荘を美術館にしようと思うに至ったのか。その歴史的な背景や、美術館が大切にしている地域とのかかわりについて、公益財団法人アサヒグループ財団業務執行理事・常務理事の﨑田淳也さんと、アサヒグループ大山崎山荘美術館館長の大西隆宏さんにお話をうかがった。

﨑田淳也さん(左)と大西隆宏さん(右)

 

山荘とアサヒグループの巡り合わせ

大山崎山荘とアサヒグループの歴史を紐解くために、時代を100年遡る。
大正から昭和初期、大阪の実業家・加賀正太郎が自らの設計で建築したのが、大山崎山荘だ。若いころイギリスに遊学していたことがある加賀は、ウィンザー城から見たテムズ川の風景を彷彿とさせるこの地の景色を気に入って、3本の川が合流する大山崎町に土地を求めた。

この地に山荘を建てたことで、当時、山荘近くのウイスキー蒸留所で初代工場長をしていた竹鶴政孝と出会う。竹鶴政孝といえば、NHKの朝ドラ「マッサン」のモデルになった人物で、のちに、ニッカウヰスキーを設立したことで知られている。

大西「加賀とマッサンは家族ぐるみで非常に親しいつき合いがありました。それで、マッサンが独立したときに、筆頭株主として支えたそうです。」

 

加賀が気に入っていたという川の見える景色は、現在も本館のテラスから臨むことができる

 

しかし、加賀は66歳のとき(1954年)に、病でこの世を去る。その直前に、ニッカウヰスキーの株式の譲渡を持ちかけた相手が、朝日麦酒株式会社(現アサヒグループホールディングス株式会社)の山本爲三郎だった。

大西「2人は大阪の財界でつき合いがあったそうです。加賀が持っていた株式を山本が引き受けたことでアサヒとニッカはグループ会社になりました。山本はビール事業以外にも、新大阪ホテル(現リーガロイヤルホテル)を設立してホテル王と呼ばれたり、一方で民藝運動を支援したりするなど、非常に懐の深い財界人でした。」

 

本館2階の階段から。ヨーロッパから取り寄せたというステンドグラスの手前にあるランプシェードは、建物の竣工時に山本が加賀夫妻に送ったもの。2羽の鳥がぴったりと寄りそったデザインが施されている

 

1967年に山荘は加賀家の手を離れる。以後、民間のレストランや企業の保養所として使われた時代もあったが、なかなか定着せず、1989年、取り壊して高層マンションにしようという計画が立ち上がった。

大西「そこで地域の住民の方々が、マンション建設に対して反対運動を起こしました。町では抱えきれない問題になって、京都府に持ちかけたところ、府知事が相談した相手が、京都出身で親交のあった当時のアサヒビールの社長、樋口廣太郎だったんです。」

 

折しもアサヒビールは、1987年の「スーパードライ」の発売によって、業績の低迷から息を吹き返したタイミングでもあった。グループ会社のニッカウヰスキーに出資した加賀正太郎の山荘ということで、アサヒとも縁があったこと、さらに、スーパードライで得た利益があったことから、京都府とアサヒビールの共同で買い取ることとなった。

 

受け継がれる芸術文化活動支援への思い

ところで、なぜ買い取った山荘を、他の用途ではなく、美術館にしたのだろう。美術館が1996年に開館する7年前、1989年3月にアサヒビール創業100周年を記念して「財団法人アサヒビール芸術文化財団」(現アサヒグループ財団)が設立された。美術館の開館は財団設立の流れも汲んでいると想像するが、アサヒグループがこの時期に芸術文化支援に乗り出したのは理由があるのだろうか。

大西「ルーツとしては、初代社長の山本爲三郎が芸術文化活動の支援に熱心だったことがあります。民藝運動のパトロンであるだけでなく、東京交響楽団の初代理事長も務めていました。そういった意味で、アサヒビールには芸術文化活動を支援するという風土が元々ありました。」

 

また、『スーパードライ』でアサヒビールの業績を立て直した樋口も、芸術活動への関心が非常に高い社長だった。大ヒット商品『スーパードライ』によって得た利益を社会へ還元しようと考えたときに、文化活動へ支援することが企業のクオリティを高めることになると考えた。

大西「お客様に求められる商品をつくるには、豊かな感性が必要で、そのためには芸術文化活動の支援をすることが大切だと考えていました。自身の著書(『前例がない。だからやる!:企業活性にかけた私の体当たり経営』1996, 実業之日本社)でも、『企業が文化活動をやらなくなると、企業のエネルギーはなくなる』といい切っています。

だから京都府知事から山荘の活用について話をいただいたときに、ひらめいたんでしょうね。美術館にすることで、アサヒビールとしてやるべき芸術文化活動の支援が具現化できると。」

 

山荘の危機的な状況、住民運動、京都府知事と樋口の関係性、「スーパードライ」によるアサヒの復活、樋口の思い。奇跡的なタイミングですべてのピースがハマったからこそ、山荘は美術館として生まれ変わることができた。

アサヒとニッカの出会いの場であり、創業者のコレクションも有する美術館。「まさにアサヒグループの歴史のレガシーのような場所だと思うんです」と大西さんは語る。芸術文化支援への思いは社長が交代しても受け継がれ、美術館は今年30周年を迎えることができた。

 

有形文化財への登録、山手館のオープン、そして開館30周年を迎えて

開館から30年の間で、美術館の転機となった出来事はいくつかある。一つは開館から8年後の2004年に、本館をはじめとする、敷地内の6つの建物が有形登録文化財となったこと。これにより、建物の価値が公にも認められることとなった。

旧車庫(現レストハウス)も有形文化財の一つ

 

2つ目は、2012年に山手館がオープンしたこと。当初は主に民藝を展示する本館、モネや西洋絵画を展示する地中館の2つでオープンしたが、山手館という箱型の展示スペースができたことによって、企画展のバリエーションも広がった。

「3つ目の転機は今年かもしれません」と大西さんは話す。美術館のコレクションの2本柱、民藝とモネはこれまでに何度も展示してきたが、両方を大々的に前面に打ち出すのは、今回が初めてだ。

折しも山荘が築100年強、モネが没後100年、民藝という言葉の誕生から100年を迎えたタイミング。2026年3月20日の開幕から、過去20年を振り返っても最速のスピードで来館者が増えている。美術館とコレクションの価値がお客様に届いて、手応えを感じているという今も、一つの転機の中にいるのかもしれない。

 

お客様やスタッフの満足が、アサヒグループの企業価値へとつながる

美術館の運営を担う館長の大西さんは、アサヒビール本社で、営業、秘書、国際部などさまざまな業務を経験した後、アサヒグループ財団に在籍、2024年に美術館の館長に就任した。美術館の館長という仕事は、これまでのどの仕事とも異なる特殊な役割のように感じるが、どんなことを大切にしているのだろう。

大西「美術館としては、来館者の満足度を上げることが目的ですが、その先にあるのはアサヒグループの企業価値を高めることだと思っています。そのためにも、現場で働くスタッフの満足度を高めることが大事だと考えて日々運営しています。」

 

美術館を通してアサヒグループの歴史や懐の深さを来館者に感じ取ってもらえることができたらと考えている。そのために、スタッフの満足度を高めることが大事だと考えているのはなぜだろう。

大西「お客様と直に接するスタッフが、しっかりホスピタリティを持って、笑顔でお迎えしないと、お客様の満足度は一気に下がってしまいますよね。いくら建物や展示作品がすばらしくても、お客様の満足度はスタッフの対応に左右されるんです。全員が美術館の価値を発信して高める役割を担っているという意識を持つことが大切だと思っています。」

 

筆者が庭でピンクの睡蓮の花の写真を撮っていたときに、お庭の清掃スタッフの方が「あちらの池には白い睡蓮がありますよ」と声を掛けてくださったのを思い出す。そうした対応に、思わず笑顔になり、うれしい気持ちになった。

そう伝えると「お客様からそうした声を聞くのが一番うれしいですね」と大西さん。「お客さんからもらったポジティブな声やアンケートなどは、すぐにスタッフに伝えている」と教えてくれた。大西さん自身も、率先して現場に出たり、お客様に挨拶をしたり、お礼の気持ちを伝えることを心掛けている。

大西「お客様に笑顔で接するためには、スタッフ自身も心身ともに健康でないとできません。ホスピタリティを持ってということを伝えるとともに、体調に気をつけてということも伝えています。」

 

 

町や地域との共生を目指して

もう一つ、美術館として力を入れている活動は、町や地域との共生だ。大山崎山荘は、町の住民運動によって守られたという背景があるため、町へ感謝を示したいという思いで、30周年の記念日には町の人へ美術館を無料開放した。また、地域の子どもたちへの教育普及活動にも力を入れている。

﨑田「財団の代表理事は『子どもたちに本物を見せたい』と常々話しています。こうした財団の発想に基づいて、美術館は小学校への出前授業も行っています。」

 

出前授業「HOP・STEP・MUSEUM!」では、町内の2つの小学校を訪問し、3〜5年生に対して、授業を行なっている。所蔵作品のカードなどを用いながら対話型アート鑑賞を行なったり、敷地内の地図を用いて山荘全体の魅力を感じてもらったりするなど、各学年で内容を変えているそうだ。授業を終えた後に、子どもたちが親と一緒に来館するケースも多い。

大西「子どもが『この前学校で絵を見せてもらったから本物を見に行きたい』と親を連れてきて、親が感動するケースもあります。『自分たちの住んでいる町にこんなすばらしい美術館があるなんて知らなかった』という親御さんからの言葉もありました。住んでいる町の良さに気づいたり、愛着が湧いたりするきっかけにもなっているようです。」

 

緑がいっぱいの庭園

 

何度来ても感動がある場所

ホスピタリティを大切に、地域に開かれた美術館を目指して活動するアサヒグループ大山崎山荘美術館。来館者からは『貴重な財産を残してくれてありがとう』という声が多く寄せられている。

大西「建物が築100年を超えているということもあり、来館していただくと、維持する大変さも伝わるのだと思います。『きれいな状態で残してくれてありがとう』といっていただくことは多いですね。また『来てよかった』『アサヒのファンになりました』という声も非常にうれしいです。さらに『また誰かと来たい』『今度は別の季節に来たい』といっていただくのも、本当にありがたいですね。」

 

秋に訪れたらどうだろう、雨のしっとりした雰囲気もまたいいのではないか、四季折々の表情がある庭は、今とはまた異なる景色を来館者に想像させる。そのため、30周年のスローガンは「訪れるたび、心がうごく」。「何度来ても新しい見え方や体験ができますので、その都度違う感動があると思います」と大西さんは微笑む。

 

維持と挑戦。かかわる人たちが幸せである美術館へ

30周年を迎えたアサヒグループ大山崎山荘美術館は、建物や庭、コレクションなどその価値をあらためて多くの人に伝えている。これからどのようなことに取り組もうと考えているのだろう。

﨑田「来館する方は年配の方が中心なのですが、最近は若い世代も美術館や民藝に興味を持っていると聞いています。SNSでの発信に力を入れるなどすれば、若い世代や新しいお客様に届くのではないかと思っています。

また財団としては、建物の空間や雰囲気を維持していくことを考えています。築100年以上の建物ですから、色々なところが壊れていくので、お金もかかることがあります。それでもずっと続けていくために、建物を守っていきたいですね。」

 

2025年には、山荘正面の砂利広場を舗装するなど、大規模修繕も施している。この修繕は高齢者やヒールを履いた方の「歩きにくい」という声や、車椅子の方の「正面から建物を見たい」という要望に答えたかたちだ。今後も新たな来館者を迎えるために、お客様の声にも耳を傾けながら建物をメンテナンスすることを考えている。

中央の舗装された道が、本館の正面まで続いている

 

大西「建物は現状を維持しつつ、アサヒグループの歴史は挑戦の歴史でもあるので、新しい価値や魅力を発信していきたいですね。

また地域という視点では、大山崎町の活性化への貢献をしていきたいと思っています。社会に対してしっかり芸術文化の発信を続けることが、スポンサーであるアサヒグループ本社への恩返しになるかなと思っています。

館長という立場からは、かかわる人たちが幸せでいてほしいなと思っています。お客様、スタッフ、協力会社、ここにかかわる人たちが皆、来てよかった、働いてよかった、お客様の喜ぶ顔を見て幸せって思えるような空間であり続けることが個人としての夢ですね。」

 

本社の国際部時代には、一緒に仕事をしていたこともあるという﨑田さんと大西さん。お二人の話しぶりから、現場と管理という立場は異なっても、同じビジョンを持って美術館運営に携わっていることを感じた

 


取材を終えて

緑の美しい庭、こだわりの詰まった建築物、モネや民藝運動ゆかりの作品。美しいものに触れて、ゆったりとした気持ちで過ごすことができ、「季節を変えて、また訪れたい」と感じる場所だった。

美術館の歴史的な背景に心動かされるとともに、印象的だったのは、大西さんが「お客様の満足度、スタッフの満足度と、企業の価値はつながっている」とお話されていたことだ。筆者自身、清掃スタッフの方に親切に案内していただいたこと、受付の方の笑顔、大西さんや﨑田さんとお話したことーー風景や美術品のすばらしさとともに、そうした人との出会いの記憶が強く残っている。

企業が利益を出すことで美術館を運営し、美術館を運営することが所蔵作品や景観を守ることになる。さらに美術館で働く人の喜びが来館者の喜びにつながり、来館者の喜びがアサヒグループへのポジティブな印象へとつながり、そのポジティブな印象が企業の価値を高めていく。美術館を通して、このように人と企業が幸せな循環を描いているように感じられた。アサヒグループの芸術文化支援への思いは、この場所でこれからも受け継がれていく。

メセナライター:福井尚子

取材日:2026年6月5日(金)
取材先:公益財団法人アサヒグループ財団
・アサヒグループ大山崎山荘美術館
(〒618-0071 京都府乙訓郡大山崎町銭原5-3)

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