公益財団法人常陽藝文センター

「心の豊かさ」を耕す――地域文化のハブが仕掛ける、新たな郷土の愉しみ方

水と緑あふれる千波湖を抱き、歴史の面影とアートが心地よく調和するまち、茨城県水戸市。その中心部で、40年以上にわたり地域文化のつなぎ手として市民に寄り添ってきた民間組織がある。常陽銀行が設立した公益財団法人常陽藝文センターだ。情報誌の出版、講座、史料館運営から独自の旅行事業にいたるまで、民間ならではのフットワークの軽さを活かした多彩なアプローチで、郷土の魅力を発信し続けている。

今回は、同センター理事・事務局長の髙橋博明さん、交流事業部の細貝陽子さん、そして8月29日まで開催中の「妖怪展」を担当した学芸員の大曽根麻希子さんと千葉隆司さんらに、地域に根ざした活動への思いをうかがった。

 

水戸市三の丸を拠点とする常陽藝文センター

 

 

センター設立の原点:銀行が目指した「心の豊かさ」

常陽藝文センターは1982年、常陽銀行の創立50周年記念事業として設立された。水戸を拠点に、茨城県近代美術館や水戸芸術館など近隣の公立文化施設に先駆けて、地域における文化活動を牽引してきた。郷土の文化・歴史を主軸に据えた背景には、当時の銀行取締役頭取・青鹿明司氏の強い信念があった。

 

常陽藝文センター理事 事務局長 兼 常陽史料館館長の髙橋博明さん(左)、同センター交流事業部の細貝陽子さん(右)

 

髙橋さん:青鹿氏は内閣審議室長だった時代に、当時の佐藤榮作首相から「青鹿くん、日本は戦後復興で豊かになったが、これからの社会に必要なものは何だろうか」と問われ、「経済よりも心の豊かさが大切な時代になるでしょう」と語ったそうです。その精神が、こちらの設立理念につながっています。

 

早くから文化芸術支援の重要性を認識していた青鹿氏の考えは、個人取引の強化やイメージ向上を目指す銀行の戦略とも合致し、行政からも「郷土文化はぜひ常陽で」との後押しを受けた。2003年には、「潤いのある郷土づくり」を志す地道な取り組みが評価され「郷土の芸術・文化の発掘と普及―20年目の挑戦」でメセナ大賞を、「『藝文友の会』を通じた常陽銀行の社員、家族に対する文化芸術に親しむ機会の提供」で文化庁長官賞を2つ同時に受賞。この快挙が大きな弾みとなり、その灯火は今日まで受け継がれている。

 

 

地域の記憶を未来へつなぐ活動 

郷土文化情報誌『常陽藝文』
茨城の文化や風物を紹介する郷土文化情報誌『常陽藝文』は、1983年の創刊から通算518号を数える。467号までは、元新聞記者の大曾根克彦氏が主筆を担い、現在は学芸員や専門家らがそれを引き継いでいる。単なる観光紹介とは一線を画す冊子で、毎回新鮮な切り口から郷土にまつわるテーマを深堀りしている。誌面や映像のデジタルアーカイブ化も進行中だ。

 

文化情報誌『常陽藝文』

 

髙橋さん:私どもがこれまで蓄積してきた40数年間の出版物や映像資料は、唯一無二の財産。これからデジタル化によって、茨城のすばらしい文化を世界へ発信していきたいと考えています。

 

生涯学習講座「藝文学苑」と芸術・文化の普及啓蒙
教養講座「藝文学苑」では、地域の文化・歴史を学ぶ座学に加え、土曜日中心の「オープン講座」も拡充中だ。音楽事業では地元音楽家の起用に力を入れ、他財団との協力により年3回ほどコンサートや落語を開催。来年度に第300回を迎える「郷土作家展」も人気を博している。

 

郷土作家展会場の様子史

常陽史料館の運営
管理受託する「常陽史料館」(水戸市備前町)では、「埴輪」「看板」「妖怪」などユニークな企画展を年5回ほど開催。館内には日本のお金や銀行の歴史を学べる「貨幣ギャラリー」も併設し、地銀として類を見ない規模の常設展示を行っている。

 

水戸藩で江戸時代に鋳造された古銭「水戸虎銭」ほか

 

 

「見学ツアー」を自前でかたちに――旅行事業への新たな挑戦

最近特に力を入れているのが、2025年から本格始動した企画旅行事業だ。誌面や講座のテーマと連動し、講師の解説つきで巡る見学ツアーである。特筆すべきは、職員自ら旅行業務に関する専門資格を取得し、1から10まで自前で企画している点だ。茨城県内外の日帰りバスツアーが中心だが、遠隔地への宿泊を伴うツアーにもチャレンジしている。 そのこだわりについて、髙橋さんは楽しげに明かしてくれた。

髙橋さん:私どもの企画はマニアックですよ。今年6月には大化の改新をテーマに、茨城と縁が深い藤原氏ゆかりの奈良の史跡を巡るツアーを企画しました。たとえば藤ノ木古墳へは行くけれど、すぐ近くの法隆寺は王道すぎるのであえて寄らない、とかね(笑)。談山神社の夜間特別拝観やキトラ古墳の壁画公開も組み込み、普通の旅行会社にはない充実したツアーになり好評でした。次回は、縄文時代をテーマに企画中です。

 

奈良ツアー 藤ノ木古墳

 

企画者側の熱量に呼応するように、参加するシニア層の満足度は非常に高い。交流事業部の細貝さんは、現場の様子をこう語る。

細貝さん:参加者は70~80代の方が多いのですが、先生への質問も的確で熱量が凄いんです。移動のケアや講師の解説が行き届くよう、定員は20人程度に絞っています。参加者の好きなテーマが重なるので仲良くなりやすく、ツアーや講座をきっかけに、受講生同士のコミュニティや研究会が生まれることもありますね。

 

企画から事前の下見、当日の添乗までのすべてを、専門知識があって、お互い顔が見える関係性の職員がていねいに対応してくれる。これは、シニア世代にとっては大きな安心感があるだろう。講座から見学ツアーまで、日ごろからリピーターが多いのも納得がいく。

 

 

知られざる茨城の魅力を掘り起こす:学芸員が語る「妖怪」と「風土」

続いて、常陽史料館で開催されている「妖怪展」へ足を運び、学芸員の大曽根麻希子さんと千葉隆司さんに会場を案内していただいた。ここでは妖怪にまつわる歴史的資料や絵画のほか、現代の作家による妖怪の陶芸作品なども展示されている。

 

常陽史料館学芸員の千葉隆司さん(左)、大曽根麻希子さん(右)

 

展示会場入口では、髙橋協子さん制作のユーモラスな妖怪たちが出迎えてくれる

 

相馬の古内裏【歌川国芳】

 

大曽根さん:実は今回の展示は、会期の途中で展示替えをしており、ちょうど今日から後半の展示が始まったところです。皆さんに特にご注目いただきたいのは、河童の手のミイラですね。土浦市の満蔵寺で長く秘蔵されてきたもので、2010年からは、毎年6月初旬の《かっぱ祭り》で年に一度開帳されています。今回特別にお借りできたので、ぜひご自身の目で、直接ご覧いただきたいですね。

 

霞ヶ浦支流の桜川に棲んでいたと伝えられる「河童の手」(土浦市佐野子公民館保管)

 

ところで、茨城に河童伝説が多い理由を、千葉さんは「リスクマネジメント」という視点から説明した。

千葉さん:茨城は水辺が多く、『常陸国風土記』も「水の風土記」といわれます。昔の人が「河童が出るから近づくな」と教えたのは、水難を防ぐためのリスクマネジメントでもありました。妖怪の誕生には、自然環境が深くかかわっています。たとえば、豊かな恵みの海でありながら航海の難所でもあった鹿島灘からは、幽霊船や巨大なウナギの妖怪「ゐくち」の伝説が生まれました。伝承の多さは、先祖がそれだけ豊かな自然と共生してきた証拠でもあるのです。

 

なお、藝文ギャラリーでは民俗学者・柳田國男と哲学者・井上円了の資料も紹介。迷信に否定的だった円了が、科学で解明できない不思議を「真怪(しんかい)」と呼んだことに触れ、「それこそが完璧ではない人間らしさ」だと、千葉さんは微笑む。

 

妖怪博士・井上円了へのメッセージが記された『哲学堂詩文集』(東洋大学井上円了記念博物館所蔵)

 

最後に、この仕事を通じて伝えたいことをうかがった。

千葉さん:茨城は都道府県魅力度ランキングで最下位付近を漂うことが多いのですが、視野を広げて万葉集の時代から考えると、実は多くの人を惹きつけてきた豊かな土地でもあるのです。展示や記事を通じて、地元の歴史のすばらしさを知っていただき、誇りや愛着を持っていただきたい。その最前線で役割を果たすのが、私たちの仕事です。

 


取材を終えて

事務局長の髙橋さんは同センターの強みについて、自治体やジャンルの枠を超えた「地域文化のハブ」になれる点だと語った。茨城に暮らして17年になる筆者にとっても、今回うかがった「妖怪伝承」の話から、「常陸国(茨城)における縄文時代の食文化」の話に至るまで、いずれも新鮮な驚きに満ちていて、まさに「灯台下暗し」だと実感した。情報過多な時代だからこそ、地域文化を支えるプロの活動を通じて足元にある郷土の奥深さを見直し、つながる人の輪は、これからも着実に広がっていくだろう。私たちの「心の豊かさ」を耕す同センターの取り組みに、今後も注目していきたい。

 

ドローンで撮影した潮来・霞ヶ浦の夕景

 

メセナライター:高巣真樹
取材日:2026年7月7日(火)
取材先:公益財団法人常陽藝文センター(〒310-0011 茨城県水戸市三の丸1-5-18)

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